添田増太郎
添田 増太郎(そえた ますたろう、1928年11月1日[1] - 2019年11月6日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。
略歴
編集福島県出身[2]。東京農業大学通信学科卒[2]。鏡石町議会議員を経て[1]、1968年、福島県議会議員選挙で岩瀬選挙区から立候補し、初当選[3]。 1983年、第55代福島県議会議長就任[4]。1984年、全国養蚕農業協同組合連合会長[5]。
1985年1月28日、議長を辞職し、同年2月の福島県選挙区選出の村田秀三(日本社会党)の死去による第13回参議院議員通常選挙福島県選挙区補欠選挙に自由民主党から立候補し初当選[6]。1988年12月竹下改造内閣法務政務次官。1989年6月、宇野内閣法務政務次官。同年7月の第15回参議院議員通常選挙で落選[6]。
脚注
編集- ^ a b 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』294頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』338頁。
- ^ 同じ選挙区に鈴木省吾(第2次中曽根内閣法務大臣)
- ^ 歴代議長、副議長一覧
- ^ 泉崎村長 小林日出夫の日記
- ^ a b 『朝日選挙大観』573頁。
- ^ a b 福島県のNOSAIの動き(平成)
- ^ 中綬章受章者の顔触れ
- ^ “添田増太郎元参院議員死去 全国農業共済協副会長を歴任”. 福島民報. 2019年11月8日閲覧。
- ^ 『官報』第148号11頁 令和元年12月9日号