深井 国(ふかい くに、1935年1月5日 - )は、日本画家イラストレーター、元漫画家。本名は深井国松。

略歴

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  • 1935年 - 神奈川県横浜市生まれ[1]
  • 1955年 - 研究所モダン・アートに入所。
  • 1956年 - 週刊誌「平凡パンチ」に、創刊号よりイラストレーション・ストーリーを連載する。これがパリ・プランタンデパートのアートディレクターの目にとまったことから、大型のウインドウ ディスプレイ(縦2m横6m)を制作。同時に油彩画の指導を受けるが表現に限界を感じ、別のスタイルの模索を始める[1]
  • 1976年 - 早川書房SFマガジンにイラストレーション・ストーリー、「クニ・ファンタスチカ」「暗号」発表[1]
  • 1997年 - ギャラリーでオリジナル油彩と、1970年代に週刊朝日に連載された遠藤周作「王妃マリー・アントワネッ ト」の挿絵原画の一部を展示し完売する[1]
  • 2006年 - 個展を開催。「カーニバル」をテーマに水彩画約26点と数点の油彩を展示[1]
  • 2024年 - 原画・美術監督を務めた1973年公開の劇場アニメ映画『哀しみのベラドンナ』の原画を復元するためのプロジェクト「ベラドンナ原画復元計画」が発足された。4Kデジタルリマスターされたフィルムデータを元に復元し、アート作品として甦らせたのち画集製作をする予定[2][3]。9月18日よりクラウドファンディングを開始し、4日後には目標金額に達した[4]

人物

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作家の物語からイメージを膨らませ挿絵を描く仕事を天職と心得る[1]。絵の勉強をしながら貸本漫画を描き始め、永島慎二杉村篤(当時の筆名はコンタロー)、石川球太らと「むさしのプロダクション」を結成。当時のペンネームは深井日郎、深井ヒロー、フカイヒローなどであった。

つげ義春と知り合い、1963年からつげのアパートで同居生活を送った。

1964年頃からは、ベルナール・ビュフェ等の影響を受けた端麗なイラストレーションを、雑誌『平凡パンチ』などに発表しはじめる。

また、1971年には虫プロダクション製作のアニメーション『哀しみのベラドンナ』の美術監督を担当した。

その後は、イラストレーター、画家として多くの作品を発表し世界的な評価を得ている。また、挿絵画家としては、ハヤカワSF文庫のファンタジー系の作品やハヤカワミステリ文庫のペリー・メイスンシリーズ、多くの時代小説作品の挿絵・カバーアートを担当したことで知られている。

1990年代よりは主に音楽を奏でる演奏家らの姿を描いた油彩を制作[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g GALLERY BEAUX
  2. ^ 長編アニメ映画「哀しみのベラドンナ」原画を復元するためのプロジェクト始動”. コミックナタリー. ナターシャ (2024年9月18日). 2024年9月23日閲覧。
  3. ^ Kuni Fukai 深井国 [@Kuni_Belladonna] (2024年8月13日). "xはじめまして、絵描きの深井国です。1971年に美術監督を務めた「哀しみのベラドンナ」という映画の復元画集をクラウドファンディングで作ることになりました。89歳にして初の画集です。海外も含めファンが沢山いるとのこと。ありがたい限りです。今でも毎日、絵を描いており、新たな発見、楽しみに満ちた日々を送っています。そんな僕の日常を少し記録しようと、xとinstagramをはじめます。細々とマイペースにですが、よろしくお願いします。". X(旧Twitter)より2024年9月23日閲覧
  4. ^ ベラドンナ原画復元計画 [@ベラドンナ原画復元計画] (2024年9月22日). "ご支援ありがとうございます!おかげさまで、『哀しみのベラドンナ』失われた美術原画復元計画のクラウドファンディングが目標金額の300万円に達成いたしました!多くの皆様からの温かいご支援と応援に心より感謝申し上げます。このプロジェクトは、皆様のお力添えのおかげで実現に向けて大きく前進しました。現在、次なる目標に向けてストレッチゴールを検討中です。詳細は追ってお知らせいたしますので、引き続き応援のほどよろしくお願いいたします!". X(旧Twitter)より2024年9月23日閲覧

関連人物

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参考文献

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  • SFマガジン』2009年3月号・4月号掲載、大橋博之「SF挿絵画家の系譜」

外部リンク

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