涿州市

中華人民共和国河北省保定市が管轄する県級市

涿州市(たくしゅう-し)は、中華人民共和国河北省中部の保定市に位置する県級市。保定市の北部に位置し、首都北京に隣接している。

中華人民共和国 河北省 涿州市
楼桑廟三義宮
楼桑廟三義
楼桑廟三義
旧称:涿県
保定市中の涿州市の位置
保定市中の涿州市の位置
保定市中の涿州市の位置
中心座標 北緯39度29分 東経115度58分 / 北緯39.483度 東経115.967度 / 39.483; 115.967
簡体字 涿州
繁体字 涿州
拼音 Zhuōzhōu
カタカナ転写 チュオチョウ
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
河北
地級市 保定市
行政級別 県級市
建置 秦代
改称 1986年
面積
総面積 742 km²
人口
総人口(1999) 111.2 万人
市区人口(1999) 10.9 万人
経済
電話番号 0312
郵便番号 072750
行政区画代碼 130681
公式ウェブサイト http://www.zhuozhou.gov.cn/

北京や天津から自動車で至近という地理的条件のため、地価高騰など経済条件が悪化する北京から涿州に拠点を移す企業や機関が相次いでいる。また涿州には「影視城」という巨大なスタジオがあり、テレビドラマの製作と撮影が盛んに行われている。

歴史

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秦代に設置された涿県を前身とする。漢代には涿郡三国時代にはにより范陽郡の郡治とされた。624年武徳7年)に唐朝范陽県と改称、769年大暦4年)には新設された涿州の管轄とされた。明朝が成立すると涿県は廃止となり、管轄区域は涿州の直轄とされた。1913年民国2年)、州制廃止に伴い涿州は涿県に改編、1986年には県級市に昇格し涿州市が成立し現在に至る。

涿州市は中原から北に離れた辺地であったが、後漢末期には劉備関羽張飛の三人が涿県で旗揚げしたのを始め、涿州は後漢末の盧植北魏代に地理書『水経注』を著した地理学者酈道元、禅宗六祖の慧能初代皇帝の趙匡胤北宋の儒学者邵雍などの人材を次々と輩出している。

清代、涿州は北京から南へ出発して最初に着く州だったことから、乾隆帝は全国巡幸の際に涿州を「天下第一州」と命名している。

交通

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北京・天津・保定の三都市が形成する三角形の中でも北京寄りに位置する。京広線が駅を涿州市内に置き、北京と河北省都石家荘市を結ぶ高速鉄道・京石高速鉄道も駅を置く予定になっている。

道路網は、京石高速道路が市内を縦断する。また一般国道・G107国道が市内を南北に縦貫し、廊涿高速道路と接続している。南の石家荘からは210km、保定からは89km、北の北京・広安門からは62km。

行政区画

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3街道、10鎮、1郷と省級経済技術開発区1つを管轄する。

  • 街道弁事処:双塔街道、桃園街道、清涼寺街道
  • :松林店鎮、碼頭鎮、東城坊鎮、東仙坡鎮、高官荘鎮、百尺竿鎮、義和荘鎮、刁窩鎮、林家屯鎮、豆荘鎮
  • :孫荘郷

古跡・観光地

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涿州双塔、永済橋、金門閘など。また劉備関羽張飛の三人を記念する三義宮や張飛廟などもある。

関連項目

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外部リンク

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中国地名の変遷
建置 秦代
使用状況 涿州市
涿県
前漢涿県
涿県
後漢涿県
三国涿県
西晋涿県
東晋十六国涿県
南北朝涿県
涿県
范陽県
五代范陽県
北宋/范陽県
南宋/范陽県
范陽県
涿州
涿州
中華民国涿県
現代涿県
涿州市(1986年)