浦 太郎(うら たろう、1920年大正9年〉7月22日 - 2017年4月[1])は、日本の数学者

浦 太郎
(うら たろう)
生誕 (1920-07-22) 1920年7月22日
日本の旗 日本 東京府
研究分野 数学
研究機関 東京大学
神戸大学
RIAS研究所
ケースウェスタンリザーブ大学
ストラスブール大学
出身校 東京帝国大学
主な業績 力学系の関数解析の研究
プロジェクト:人物伝
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人物

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東京府(現・東京都)出身。

はじめは天文学者を志し萩原雄祐のもとで天文学を学んだが[2]、その後数学に転向し福原満洲雄に師事した。力学系の関数解析の分野で先駆的な業績がある。

1951年9月に戦後第2回フランス政府給付留学生として渡仏したが[3]マルセイユ港に到着した際、当時マルセイユに滞在していた建築家吉阪隆正が出迎え、パリに移ってから親交を深めた[3]。帰国後に浦は吉阪に自邸の設計を依頼。1956年に完成した浦邸[4]は、今日吉阪の代表作の1つとして評価されている[3]

長男浦環は、工学者東京大学生産技術研究所教授。

略歴

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著書

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参考文献

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脚注

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  1. ^ くさだより(神戸大学理学部同窓会)29巻 p47 くさの会の館 浦太郎元理学部長を偲んで
  2. ^ 日本の天文学者の系図 - 福江純公式サイト内のページ。
  3. ^ a b c 『吉阪隆正とル・コルビュジェ』、91頁。
  4. ^ 『吉阪隆正の方法 浦邸1956』に詳しい。