浜西鉄雄
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略歴
編集山口県下関市生まれ。1940年、王司尋常高等小学校卒業。1943年、多々良航空製作所長府工場に勤務しながら2年後、同製作所附属青年学校卒業。その後すぐに、神戸製鋼所長府工場に動員される。1948年、神戸製鋼所を退職し長府郵便局勤務。1958年、日本社会党入党。全逓信従業員組合中国地方本部副執行委員長を経て、1973年、郵政省退職。1975年、国際郵便電信電話労連世界大会代議員として、ヨーロッパ各国を研修歴訪。1980年の第12回参議院議員通常選挙山口県選挙区で、日本社会党で立候補したが、自由民主党公認候補の江島淳に敗れ、落選。1983年の第37回衆議院議員総選挙山口1区で、枝村要作(元日本社会党衆議院議員・衆議院議員5期)の後継者として、日本社会党で、立候補し初当選。以後2期務める。
衆議院議員在任中の1987年11月21日、東京慈恵会医科大学附属病院で死去した。61歳没。死没日付をもって従五位勲三等に叙された。追悼演説は翌1988年1月28日の衆議院本会議で、田中龍夫により行われた[1]。
出典
編集- ^ 第112回 衆議院 本会議 第4号 昭和63年1月28日 - 国会会議録検索システム
参考文献
編集- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年11月)