浜田彪
日本の技術者、実業家
濱田 彪(はまだ ひょう、1871年1月9日(明治3年11月19日) - 1938年(昭和13年)11月7日)は、日本の技術者、実業家。第3代三菱造船(現三菱重工業)会長を務めた。
人物・経歴
編集長崎県東彼杵郡福重村野田郷(現大村市野田町)で、初代村長一瀬信造の次男として生まれた。大村中学校(現長崎県立大村高等学校)卒業後[1]、1891年東京工業学校(現東京工業大学)機械科卒業[2]、三菱合資入社[1]。長崎造船所で常陸丸の受注にあたるなどし[1]、同所機械工場支配人を経て[2]、1898年三菱造船所電気主任技師[1][2]。三菱造船所副長を経て、1917年三菱造船長崎造船所所長。1920年三菱造船常務取締役。1925年三菱造船会長[1][2][3]。1931年蔵前工業会理事長[4]。
脚注
編集- ^ a b c d e 「近代に活躍した大村の人々 」大村市
- ^ a b c d 濱田 彪'人事興信録データベース第8版 [昭和3(1928)年7月](名古屋大学大学院法学研究科)
- ^ 「三菱重工業(株)『三菱重工業株式会社史』(1956.08)」渋沢社史データベース
- ^ “蔵前工業会創立100周年記念特集” (PDF). 社団法人蔵前工業会. p. 59 (2006年). 2019年11月23日閲覧。[リンク切れ]
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