浅間神社 (練馬区小竹町)

東京都練馬区小竹町にある神社

浅間神社(せんげんじんじゃ)は、東京都練馬区小竹町にある神社。江古田浅間神社(えこだせんげんじんじゃ)、茅原浅間神社(かやはらせんげんじんじゃ)とも呼称される。

江古田浅間神社

拝殿
地図
所在地 東京都練馬区小竹町1丁目59‐2
位置 北緯35度44分17.9秒 東経139度40分20.5秒 / 北緯35.738306度 東経139.672361度 / 35.738306; 139.672361 (浅間神社 (練馬区小竹町))座標: 北緯35度44分17.9秒 東経139度40分20.5秒 / 北緯35.738306度 東経139.672361度 / 35.738306; 139.672361 (浅間神社 (練馬区小竹町))
主祭神 木花佐久夜姫命
社格 無格
創建 不明
別名 江古田浅間神社、茅原浅間神社
例祭 9月15日前後
主な神事 富士登山など
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江古田浅間神社の位置(東京都区部内)
江古田浅間神社
江古田浅間神社
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由緒

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木花佐久夜姫命を祀る富士信仰の神社である。創立年代は社伝によると承平元年(931年)からとされるが、歴史学的には不詳。『新編武蔵風土記稿』によると「富士浅間社」とされ[注釈 1]別当寺真言宗豊山派能満寺(旭丘)。境内の歌碑に「果てもなきこの武蔵野の茅原に富士ばかりこそ山は見えけれ」とあり[2]、そうした和歌に因んで茅原浅間神社(かやはらせんげんじんじゃ)とも呼ばれた。

昔、小竹町と江古田町の人々がこの神社の所有をめぐって争ったところ、夏にもかかわらずが降る天変地異が起きた。これに驚いた双方は争いをやめ、共有の氏神として祀ることにし争いを収めたという伝説が残る。なお、別当寺である能満寺の山号「夏雪山」[要出典][注釈 2]であり、やはり夏に降る雪の伝説が残る。

江古田の富士塚

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拝殿の後方に国の重要有形民俗文化財に指定されている「江古田の富士塚」(えこだのふじづか、通称:江古田富士とも)が保存されている(1979年5月21日指定、なお1986年には練馬区登録有形民俗文化財にも登録)[4][5]富士山溶岩で覆われた富士塚で、天保10年(1839年)に小竹丸祓講により建造されたとされる。高さ8メートル、直径約30メートルで、山には天狗や猿などの神像、石碑もある。境内には文化4年(1807年)の石灯籠などの遺物も残っていることから、この富士塚も文化年間に築かれたのではないかという説もある。都区内の富士塚の中では大規模なものとされる。

この富士塚では「山開き」「登山」などの神事がおこなわれており、記録映画も作成された。1983年を最後に講中による富士塚参詣はなくなったが、7月1日の山開きは続けられておりこの日には一般の登拝が可能である(この他に正月三が日や当社の例祭が行われる9月の第2土曜日および日曜日にも登ることができる)。

2000年度には「江古田の富士講関係資料」が練馬区登録有形民俗文化財になった[6]

境内社

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アクセス

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「富士浅間社二 一は能満寺一は西光寺持」[1]
  2. ^ 『新編武蔵風土記稿』では「夏山廣原院」[3]

出典

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参考資料

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  • 江古田の富士塚 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  • 練馬区公式ホームページ「文化財詳細」
  • 練馬区教育委員会生涯学習部『練馬の神社 三訂版』2006年
  • 練馬区史編さん協議会『練馬区史 歴史編』1982年
  • 江幡潤『練馬区史跡散歩』学生社、1993年
  • 練馬古文書研究会編『練馬ふるさと事典』東京堂出版、2011年
  • 石神井図書館郷土資料室編『練馬の伝説 改訂版』練馬区教育委員会、2006年
  • 「上板橋村 富士浅間社」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ12豊島郡ノ4、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/32 
  • 「上板橋村 能満寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ12豊島郡ノ4、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/32 

外部リンク

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