浅野慶熾
浅野 慶熾(あさの よしてる)は、江戸時代後期の大名。安芸国広島藩の第10代藩主。官位は従四位上・侍従、上総介、安芸守。浅野家25代当主。
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 天保7年11月12日(1836年12月19日) |
死没 | 安政5年9月10日(1858年10月16日) |
改名 | 定吉・定之丞・善次郎、長裕、慶熾 |
戒名 | 大光院 |
墓所 | 広島県広島市の神田山墓地 |
官位 | 従四位上侍従、上総介、安芸守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家定 |
藩 | 安芸広島藩主 |
氏族 | 浅野氏 |
父母 | 父:浅野斉粛、母:不詳 |
兄弟 | 八百姫、慶熾 |
妻 | 正室:徳川斉彊の養女・利姫 |
子 | 養子:長訓 |
略歴
編集第9代藩主・浅野斉粛の長男として誕生。幼名は定吉、定之丞、善次郎。初名は長裕。
嘉永4年(1851年)3月25日、元服し、第12代将軍・徳川家慶より偏諱を授かり慶熾に改名する。また、従四位上・侍従・上総介に任官する。安政5年(1858年)4月12日、父の隠居により跡を継ぐ。通称を安芸守に改める。幼少期から聡明で知られており、その力量は時の名君と呼ばれた島津斉彬や山内豊信、松平慶永らからも一目置かれるほどであったが、家督を継いでから半年足らずの同年9月10日に江戸で死去した。跡は養嗣子の長訓が継いだ。