浅利勝頼
浅利 勝頼(あさり かつより)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正10年5月17日(1582年6月7日) |
氏族 | 比内浅利氏 |
父母 | 父:浅利則頼 |
兄弟 |
頼治、則祐、勝頼、 松の方(浅利牛欄室) |
子 | 頼平、頼広 |
略歴
編集比内浅利氏は出羽国比内郡の国人。甲斐源氏庶流で甲斐国八代郡浅利郷[1]に拠った浅利氏の庶流。
浅利則頼の子として誕生。兄則祐との確執から、永禄5年(1562年)に宿敵である檜山安東氏と通じて裏切り、兄を自害に追い込んだ。自身は、兄の跡を継いで当主として収まった。それまでの支城に加え、新たに大館城を築き、北の守りとして城下に独鈷衆を配置した町割りを行った。