浄土寺 (松山市)
愛媛県松山市にある寺院、四国八十八箇所霊場の第四十九番札所
浄土寺(じょうどじ)は、愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院。山号は西林山(さいりんざん)、三蔵院(さんぞういん)と号す。本尊は釈迦如来。四国八十八箇所第四十九番札所。伊予十三仏霊場第2番札所。
浄土寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 愛媛県松山市鷹子町1198 |
位置 | 北緯33度49分0秒 東経132度48分30.7秒 / 北緯33.81667度 東経132.808528度座標: 北緯33度49分0秒 東経132度48分30.7秒 / 北緯33.81667度 東経132.808528度 |
山号 | 西林山 |
院号 | 三蔵院 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | (伝)天平勝宝年間(749年 – 757年) |
開基 | 恵明 |
正式名 | 西林山三蔵院浄土寺 |
札所等 | |
文化財 |
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法人番号 | 5500005000254 |
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沿革
編集伝承によれば、天平勝宝年間(749年 – 757年)に孝謙天皇の勅願を受けて恵明(えみょう)上人が開創、本尊として行基が刻んだ釈迦如来像を祀ったという。当初は法相宗であったが、空海(弘法大師)が伽藍を再興した際に真言宗に改宗したという。
平安時代中期の天台宗の僧空也が天徳年間(957年 – 960年)にこの寺に滞在し布教に努めた。建久3年(1192年)に源頼朝が堂宇を修復するが、応永23年(1416年)には兵火で焼失。河野通宣によって文明14年(1482年)に再建された。現在の本堂はそのときのものである。慶安2年(1649年)には大規模な修繕、昭和36年(1961年)には解体修理が行われている。
なお、本堂に置かれた厨子に巡礼者が書いた墨書落書きがあり、その最古のものに大永5年(1525年)の年号が見られる[1]。 また、院号の「三蔵院」は、浄土宗の開祖・法然上人、第二祖・聖光上人、第三祖・良忠上人の自作像を安置していたことに因むが、1945年の出先での空襲で焼失している。
境内
編集- 大師堂:大師像を拝観できる。
- 鐘楼
- 弁財天:山門から本堂への石段右にある。
- 阿弥陀堂:本堂の左にあり、賓頭盧像が外にいる。
- 愛染堂:阿弥陀堂の前にある。
- 茶堂
- 仏足石
- 句碑:正岡子規「霜月の空也は骨に生きにける」が本堂の壇に上がって右にあり、森白象「お遍路や杖を大師とたのみつゝ」が四脚門の手前右にある。なお、下記の奥之院牛之峰地蔵堂に向って右奥に森白象「子遍路の人なつかしきことあはれ」がある。
- 中門(四脚門)
- 七福神石像
- 納経所
石段を上って山門を入ると右手に手水場その後ろに弁財天、さらに石段を上って右に鐘楼があり、正面に本堂が建つ。本堂の左側に阿弥陀堂と愛染堂が、右側に大師堂がある。納経所は鐘楼の後ろにある門を入りずっと奥にある。
- 宿坊:なし
- 駐車場:20台、大型4台(駐車料金:普通車で100円)
文化財
編集- 国の史跡
- 重要文化財
- 松山市指定有形文化財
- 不動明王像 - 三尺不動といわれる、一木造り、像高94.4 cm、平安時代後期作、昭和62年5月26日指定、(光背と二童子は1756年の追補作)[8]
交通案内
編集- 鉄道
- バス
- 伊予鉄バス久米バス停・鷹の子温泉前バス停
- 道路
- 一般道:愛媛県道40号松山東部環状線 日尾八幡神社前 (0.2 km)
- 自動車道:松山自動車道 松山IC (1.9 km)
奥の院
編集前後の札所
編集脚注
編集- ^ a b “浄土寺本堂 1棟、附 厨子1基”. 松山市 (2021年4月28日). 2023年6月27日閲覧。
- ^ 令和5年文部科学省告示第17号
- ^ “伊予遍路道”. 松山市 (2023年3月29日). 2023年6月27日閲覧。 “指定(登録)年月日、平成28年10月3日 指定、令和5年3月20日 松山市内分追加指定”
- ^ 伊予遍路道 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 伊予遍路道 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 浄土寺本堂 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 木造空也上人立像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ “不動明王像 1躯”. 松山市 (2012年3月1日). 2023年6月27日閲覧。
参考文献
編集- 四国八十八ヶ所霊場会 編『先達教典』四国八十八ヶ所霊場会、2006年。
- 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』 地図編(第8版)、へんろみち保存協力会、2007年。
関連項目
編集外部リンク
編集- 第49番札所 西林山 三蔵院 浄土寺(四国八十八ヶ所霊場会公式)
- 松山の歴史・文化(札所めぐり)(松山市ホームページ)