津田勝良
日本の安土桃山時代~江戸時代初期の武将。織田家・寺沢家・前田家の家臣。尾張犬山城主織田勝長(織田信長五男)の子で、後に加賀藩馬廻となる
津田 勝良(つだ かつよし/かつなが)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。織田信長の孫。史料で確認できる実名は、津田源三郎為直[1]。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 元和2年(1616年) |
別名 | 為直、源三郎 |
主君 | 織田信雄→寺沢広高→前田利長 |
藩 | 唐津藩士→加賀藩士 |
氏族 | 津田氏 |
父母 | 父:織田勝長 |
妻 | 二代孫十郎娘 |
子 | 長政、長次郎、坂野七左衛門室 |
略歴
編集織田勝長の子として誕生。父が戦死すると、叔父の織田信雄に仕えた。
信雄が関ヶ原で西軍に属して所領を没収されると、寺沢広高に仕えて、筑前国怡土郡吉井村・肥前国松浦郡星賀村内400石を与えられたが[2]、慶長7年(1602年)加賀藩に仕官して300石[2]。翌年には300石を加増され、600石を知行した[2]。
大坂の陣では前田利常の馬廻として参陣し、首級を一つ挙げたという。
元和2年(1616年)に死去。長男の源三郎長政が相続した[2]。次男の長次郎は寛永2年(1625年)に新知で500石を与えられたが[2]、嗣子無く断絶[3]。
子孫は金沢藩士として続いた。
脚注
編集参考文献
編集- 『石川県史資料 近世篇(10) 諸士系譜(三)』(石川県史調査委員会、2010年)