洞院愔子
鎌倉時代の女性。後深草天皇の妃・後宮・女院。従三位・准三宮、女院。子に性仁法親王(1267-1304.9.10、三男、満仁親王、仁和寺宮、性仁入道親王、一品)
洞院 愔子(とういん いんし、寛元4年(1246年) - 元徳元年8月30日(1329年9月23日))は、鎌倉時代の女性。後深草天皇の後宮で、伏見天皇の国母。女院として玄輝門院(げんきもんいん)。法名は自性智。父は従一位左大臣洞院実雄。
洞院 愔子 | |
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続柄 | 後深草天皇後宮、伏見天皇生母 |
称号 | 玄輝門院 |
身位 | 従三位・准三宮、女院 |
出生 |
寛元4年(1246年) |
死去 |
元徳元年8月30日(1329年9月23日) |
配偶者 | 後深草天皇 |
子女 | 伏見天皇、性仁入道親王、久子内親王 |
父親 | 洞院実雄 |
母親 | 藤原蔵子 |
来歴
編集後深草天皇の後宮に入り、文永2年(1265年)に伏見天皇、文永4年(1267年)に性仁入道親王、文永9年(1272年)に久子内親王(永陽門院)を産む。弘安3年(1280年)に従三位に叙任、正応元年(1288年)准三宮となり、院号宣下を受けた。正応4年(1291年)に出家し、自性智と号す。元徳元年(1329年)8月30日、84歳で薨去した。