泰川大殿
泰川大殿(たいがーうぷとぅぬ)は、15世紀頃の宮古島の人物である。代川大殿とも表記する[1]。
父の与那覇勢頭豊見親は、1390年に宮古では初めて中山王朝に朝貢した人物で、白川氏の祖にあたる[2][3]。妻は久栄免嘉[2]。
壮年で伯牛の病(現在のハンセン病と考えられる)に侵され、与那覇勢頭豊見親の後継を第3子の大立大殿(うぷだてぃうぷとぅぬ)に譲り、自らは隠遁したと伝えられている[3][4]。
脚注
編集- ^ “宮古嶋記事仕次” (DOC). 明治大学 日本古代学研究所. 2016年10月11日閲覧。
- ^ a b “文化財に大立大殿みゃーか/市教育委員会”. 宮古毎日新聞. (2012年8月28日) 2016年10月11日閲覧。
- ^ a b “大立大殿みゃーか、市文化財に”. 宮古新報. (2012年8月24日) 2016年10月11日閲覧。
- ^ 下地利幸「稲村賢敷の世代計算「一世代26 年」説を検証する」(PDF)『宮古島市総合博物館紀要』第20巻、宮古島市総合博物館、2016年3月、53-63頁。