法徳寺 (世田谷区)

東京都世田谷区にある寺院

法徳寺(ほうとくじ)は、東京都世田谷区瀬田一丁目にある浄土宗寺院東京都港区にある西応寺の末寺[2]

法徳寺
法徳寺本堂
所在地 東京都世田谷区瀬田一丁目7番7号
位置 北緯35度36分52.6秒 東経139度37分53.1秒 / 北緯35.614611度 東経139.631417度 / 35.614611; 139.631417座標: 北緯35度36分52.6秒 東経139度37分53.1秒 / 北緯35.614611度 東経139.631417度 / 35.614611; 139.631417
山号 福來山[1]
宗旨 浄土宗
本尊 阿弥陀如来[1]
開山 法阿因公[1]
開基 白井五郎兵衛重安
正式名 福來山法徳寺
公式サイト 宗教法人 法徳寺
法人番号 7010905000302 ウィキデータを編集
法徳寺 (世田谷区)の位置(東京都区部内)
法徳寺 (世田谷区)
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歴史

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弘治年間(1555年 - 1558年)ころに[注釈 1]足利義明家臣の白井五郎兵衛重安が開基した[4][2]

1851年嘉永4年)に、大塚貞三郎が芝光塾(芝光堂)という寺子屋が開いた。芝光塾(芝光堂)は小学校が開校される明治初期まで続いた[5][6]

境内

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筆塚
芝光塾(芝光堂)を開いた大塚貞三郎の頌徳碑として、1881年明治14年)に門人たちによって建てられた[2][5][6]
江利チエミの墓
昭和時代に活躍した歌手の江利チエミの墓で、楽譜が刻まれた碑がある[7]

文化財

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江戸時代に作られた阿弥陀如来立像が本尊である[8]

その他に、十一面観音菩薩立像、地蔵菩薩立像、誕生釈迦仏立像がある[9]

年中行事

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  • 5月11日 - 大施餓鬼
  • 7月13日 - 盂蘭盆会(うらぼんえ)
  • 11月11日 - お十夜会法要・人形供養祭
  • 12月31日-1月1日 - 法徳寺ゆく年くる年・お焚き上げ供養
  • 春分の日、秋分の日 - 彼岸法要
  • 毎月第一日曜日 - お経の会

出典:[7]

交通アクセス

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鉄道
東急田園都市線・大井町線 二子玉川駅下車 徒歩8分

出典

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注釈

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  1. ^ 公式サイトでは永禄元年(1558年)[3]

出典

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  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 瀬田村.
  2. ^ a b c 世田谷区生活文化部文化・国際課『ふるさと世田谷を語る 玉川台・瀬田・玉川』2000年、81-82頁。 
  3. ^ 法徳寺について”. 法徳寺公式サイト. 2021年2月6日閲覧。
  4. ^ 東京都世田谷区教育委員会『世田谷区寺院台帳』1984年、162頁。 
  5. ^ a b 玉川の郷土を知る会『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 兵庫島コース』、6頁。 
  6. ^ a b 竹内 秀雄『東京史跡ガイド12 世田谷区史跡散歩』学生社、1977年、56頁。 
  7. ^ a b 浄土宗 福來山 法徳寺 歴史・由来”. 福來山法徳寺. 2015年11月8日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ 東京都世田谷区教育委員会『世田谷区社寺史料 第一集 彫刻編』1982年、203-204頁。 
  9. ^ 東京都世田谷区教育委員会『世田谷区社寺史料 第三集 絵画・彫刻 II・目録編』1984年、144頁。 

参考文献

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  • 世田谷区教育委員会(世田谷区立郷土資料館)『世田谷区社寺史料 第一集 彫刻編』1982年。 
  • 世田谷区教育委員会(世田谷区立郷土資料館)『世田谷区社寺史料 第三集 絵画・彫刻II・目録編』1984年。 
  • 世田谷区教育委員会(世田谷区立郷土資料館)『世田谷区寺院台帳』1984年。 
  • 世田谷区生活文化部文化・国際課『ふるさと世田谷を語る 玉川台・瀬田・玉川』2000年。 
  • 竹内 秀雄『東京史跡ガイド12 世田谷区史跡散歩』学生社、1977年。ISBN 9784311419126 
  • 「瀬田村 法徳寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ49荏原郡ノ11、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763982/17 

外部リンク

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