法光寺 (越谷市)
埼玉県越谷市にある浄土真宗本願寺派の寺院
法光寺(ほうこうじ)は、埼玉県越谷市にある浄土真宗本願寺派の寺院。隣の光善寺も浄土真宗本願寺派の寺院である。
法光寺 | |
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所在地 | 埼玉県越谷市三野宮1336 |
位置 | 北緯35度56分13.7秒 東経139度45分35.4秒 / 北緯35.937139度 東経139.759833度座標: 北緯35度56分13.7秒 東経139度45分35.4秒 / 北緯35.937139度 東経139.759833度 |
山号 | 今日山 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
創建年 | 元和3年(1617年) |
開基 | 釋宗金 |
公式サイト | 法光寺‐埼玉県越谷市‐写楽ゆかりのお寺 |
法人番号 | 1030005010172 |
歴史
編集1617年(元和3年)、釋宗金の開基である。西本願寺の浅草御堂(後の築地本願寺)の一院としてたてられた。1657年(明暦3年)の明暦の大火や1923年(大正12年)の関東大震災に遭ったが、その都度再建されている[1][2]。
1988年(昭和63年)にも火災に遭った。そして遂に築地本願寺から離れて、1993年(平成5年)に越谷市の現在地に移転した[1][2]。
写楽ゆかりの寺
編集当寺は東洲斎写楽ゆかりの寺としても知られている。写楽は正体不明の謎の浮世絵師として知られている。江戸時代後期の考証家・斎藤月岑が著した『増補浮世絵類考』には、写楽の本名は「斎藤十郎兵衛」で、徳島藩蜂須賀家のお抱え能役者であるとしている。しかし、この「斎藤十郎兵衛」自身が正体不明であったことから、当時の著名絵師の変名説が囁かれていた。1997年(平成9年)に当寺の過去帳に「斎藤十郎兵衛」の記述があることが発見された。それによれば、斎藤十郎兵衛は確かに徳島藩の関係者であり、1820年(文政3年)に58歳で没し、千住で火葬されたこと、法名は「釈大乗院覚雲居士」で、十郎兵衛を含む斎藤家の菩提寺であった。この発見により、斎藤十郎兵衛の実在が証明された。これを記念して、当寺の境内に「写楽記念碑」が建てられている[1][3]。
交通アクセス
編集- 路線バス千間台西四丁目停留所より徒歩9分。
脚注
編集参考文献
編集- インデックス編集部 編『訪ねてみたい埼玉のお寺』インデックス、2006年