法の師
概要
編集現在の一般的な源氏物語54帖の中には含まれてはいないが、以下のようないくつかの形で源氏物語の巻であるとする資料が存在する
「法の師」巻は存在したか
編集源氏釈が記したような夢浮橋に続く「法の師」巻は存在したのか。これについては、以下のような説が存在する。
- 単なる誤りであるとする池田亀鑑の説[2]。
- かつて「法の師」という巻が存在したのは事実であるとする寺本直彦の説[3][4]。
- 寺本は源氏物語の巻について、成立して以後にもともと一つだった巻がいくつかの巻に分割されたり逆にもともとはいくつかの連続した複数の巻だったものが合わさって一つの巻になったりしたことがあるとして、複数の巻が一つになったとき無くなった方の巻の名前が残った方の巻の異名として残ったとしている。このような考え方を元にして、源氏釈は現在本文が残っている通りに「夢浮橋」の後に「法の師」という巻が存在した源氏物語を対象に注釈を加えたのであり、その後この二つの巻が合わさって一つの巻になり、「法の師」が現在の「夢浮橋」の後半部分になるとともに「夢浮橋」が「法の師」の異名を持つようになったのではないかとしている。
脚注
編集- ^ 「雲隠六帖抄」伊井春樹編『源氏物語 注釈書・享受史事典』東京堂出版、2001年(平成13年)9月15日、pp.. 69-71。 ISBN 4-490-10591-6
- ^ 池田亀鑑「伊行の源氏釈より見たる初期の「註釈」の性質とその形態」『池田亀鑑選集 物語文学 2』至文堂、1969年(昭和44年)6月、pp. 56-76。
- ^ 寺本直彦「源氏物語目録をめぐって -異名と并び-」」『文学・語学』1978年(昭和53年)6月号のち『源氏物語受容史論考 続編』風間書房、1984年(昭和59年)1月、pp.. 645-681。
- ^ 寺本直彦「源氏物語目録続考 -「さむしろ」と「ならび」の一異説とについて-」源氏物語探求会編『源氏物語の探求 第四編』風間書房、1979年(昭和54年)4月、pp.. 37-67。のち『源氏物語受容史論考 続編』風間書房、1984年(昭和59年)1月、pp.. 682-713。