沼津御用邸
1893年から1969年まで静岡県沼津市にあった御用邸
沼津御用邸(ぬまづごようてい)は、明治期から昭和中期まで利用されていた御用邸。1893年(明治26年)7月、大正天皇(当時は皇太子)の静養のため[1][2] 、静岡県駿東郡楊原村(現・沼津市)の島郷御料林内に造営された。1969年(昭和44年)12月に廃止され、翌年7月に沼津御用邸記念公園が開設され[3]、現在に至っている。
概要
編集敷地面積は104,402.1平方メートルで[4]、千本松原に連なる広大な松林と駿河湾に面した砂浜の中にある。明治時代、周辺には大山巌や西郷従道、大木喬任など元勲の別荘も存在していた。北北西の方向に富士山が見える風光明媚、かつ温暖な地である。
1945年(昭和20年)7月、沼津大空襲で本邸を焼失し、1969年(昭和44年)12月に廃止され[5]、沼津市へ移管される。そして翌年1970年(昭和45年)7月、残された東附属邸と西附属邸を中心として周囲の緑地と共に、沼津市が沼津御用邸記念公園として開設した。1994年(平成6年)には第125代天皇上皇明仁が行幸した。
現在でも市民などの憩いの公園となっており、また海岸沿いを走る国道414号から近く交通の便も良い。市民らからは公園地域共々「御用邸」と呼ばれて親しまれている。
備考
編集- 明治中期から昭和初期にかけ、沼津は有数の避寒用途の別荘地であった。政財界要人の別荘地として格別の配慮を受けた結果、東海道本線や国道1号等の交通の便が向上した。これは後の沼津市の発展にも大きく寄与している。
- 昭和天皇は生後70日からの幼少の折、当御用邸で育った。このため思い入れも少なからずあった模様で、即位後も度々訪れていた。沼津市に移管する直前にもお別れのために訪れている。
外部リンク
編集脚注・出典
編集- ^ 沼津市史編さん委員会 「沼津市史 通史編 近代」 2007年 p.235
- ^ 沼津市都市計画部緑地公園課 「沼津御用邸百年誌 沼津御用邸造営百周年記念」 1994年 p.12
- ^ 沼津市都市計画部緑地公園課 「沼津御用邸百年誌 沼津御用邸造営百周年記念」 1994年 p.53
- ^ 沼津市都市計画部緑地公園課 「沼津御用邸百年誌 沼津御用邸造営百周年記念」 1994年 p.17
- ^ 沼津市都市計画部緑地公園課 「沼津御用邸百年誌 沼津御用邸造営百周年記念」 1994年 p.52,p.53
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、60頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ “棋聖戦第3局 午後のおやつ、藤井棋聖は「りんごジュース」佐々木七段は「生クリームのプリン」”. 毎日新聞 (2023年7月3日). 2023年7月3日閲覧。
関連項目
編集座標: 北緯35度4分22.27秒 東経138度52分17.43秒 / 北緯35.0728528度 東経138.8715083度