河野 徳兵衛(こうの とくべえ、宝暦13年(1763年) - 天保9年8月15日(1838年10月3日)は、江戸時代中期-後期の農学者[1]。名は通如[1]。
甲斐国八代郡夏目原村の豪農[2]。天明7年(1787年)宮崎安貞の『農業全書』や地域の農家の知識をもとに、作物の栽培方法や肥料の調合法などを記した農書『農事弁略』を著した[1]。