河野 安信(こうの やすのぶ、文政3年(1820年) - 明治18年(1885年9月17日)は、幕末-明治時代の殖産家[1]。通称は重次郎[1][2]

経歴・人物

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信濃国高井郡野沢村に生まれる[2]弘化2年(1845年あけびの蔓を裂く器具「にぎりかんな」を考案し、村内にあけび蔓細工を広めた[2]。明治8年(1875年)の内国勧業博覧会に自作のあけび蔓細工の作品を出品、好評を得た[2]

脚注

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  1. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『河野安信』 - コトバンク
  2. ^ a b c d 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『河野安信』 - コトバンク