河端作兵衛
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
河端 作兵衛(かわばた さくべえ、1887年(明治20年)2月 - 1955年(昭和30年)11月19日[1])は、大正から昭和期の実業家。河端製作所創立者、貴族院勅選議員。正五位[1]。
経歴
編集東京出身。1912年(明治45年)慶應義塾大学法学部卒業[1]後、電気通信機部品等の製造経営者となる。戦時下で軍需会社を中心に、高周波用セラミックコンデンサを唯一扱う会社となった。以後、精密分野に従事し、現在の村田製作所に繋がる、森安静太や佐藤彦八(佐藤航空無線器材製作所 (現・太陽誘電)創設者)など数多くの技術者を河端製作所で育てた。
1946年(昭和21年)8月21日に貴族院議員に勅選され[2]、交友倶楽部に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。