河田末三郎
日本の陸軍軍人
河田 末三郎(かわた すえさぶろう、1891年(明治24年)5月29日[1] - 1982年(昭和57年)10月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階は従四位[2]。
河田 末三郎 | |
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生誕 |
1891年5月29日 日本 愛知県 |
死没 | 1982年10月25日(91歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1891年(明治24年)に愛知県で生まれた。陸軍士官学校第25期、陸軍大学校第35期卒業[3]。
1933年(昭和8年)に陸軍省軍務局防備課高級課員を経て[4]、1936年(昭和11年)に工兵第7連隊長に就任[4]。1937年(昭和12年)陸軍工兵大佐に進級し、1938年(昭和13年)に関東軍第2別班長に就任[4]。1940年(昭和15年)に陸軍少将に進級し[4]、1941年(昭和16年)に関東軍築城部長[3]、1942年(昭和17年)に関東軍水上司令官を経て[3]、1943年(昭和18年)3月に陸軍工兵学校長に就任し[3]、同年6月に陸軍中将に進級[3]。
1944年(昭和19年)3月に工兵監に転じ[3]、同年7月に第73師団長に親補された[3]。本土決戦に備え、渥美半島・浜名湖周辺に迎撃兵団として展開したが、終戦を迎えた[3]。
栄典
編集- 外国勲章佩用允許
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。