河合誓徳
河合 誓徳(かわい せいとく、1927年4月3日[1] - 2010年3月7日[1])は、日本の陶芸家、日本芸術院会員。
来歴
編集大分県東国東郡国見町生まれ[1]。1940年、旧制宇佐中学校に入学するも、1943年、鹿児島海軍航空隊甲飛13期飛行練習生として入隊[1]。上海海軍航空隊を経て、終戦により復員[1]。1947年、京都で山本紅雲に師事[1]。1949年、国東へ戻るが陶磁の道を諦められず、諸隈貞山に弟子入りする[1]。1951年、京都の加藤利昌の下で下絵付に従事[1]。1952年、京都陶芸家クラブに加入し、6代清水六兵衛に師事[1]。1952年、日展に初入選[1]。1953年、河合栄之助の長女登志子と結婚し、河合家の後継者となる[1]。その後、1961年設立の日本現代工芸美術家協会へ活躍の幅を広げ、その作品は数多くの賞を受賞する[1]。1997年、日展理事、2000年、日本新工芸家連盟副会長、2002年、同連盟会長。2003年、日本新工芸家連盟会長、2005年、日本芸術院会員、2007年日展常務理事、2008年日展顧問などを歴任した[1]。2010年、肺炎のため82歳で死去[1]。