沙田第一城
座標: 北緯22度23分12秒 東経114度12分12秒 / 北緯22.3867度 東経114.2034度
沙田第一城(さでんだいいちじょう、中国語: 沙田第一城, 英語: City One Shatin)は、香港新界沙田区にある住宅団地。52の住宅棟から構成され、沙田区では最大の住宅プロジェクトである。団地内には、2つの商業施設(フォーチュン・シティワンとフォーチュン・シティワン・プラス)、レクリエーションガーデン、住民用のコート、プールが設置されている。また、近隣に学校が数校置かれている。
沙田第一城 City One Shatin | |
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所在地 | 香港新界沙田区 |
地区 | 沙田市地段第1号 |
開発者 |
百得置業有限公司(聯営公司) ↳恒基兆業 ↳新世界発展 ↳新鴻基地産 ↳長江実業 |
用途 | 住宅 |
棟数 | 52 |
階数 | 27-34 |
完成年 | 7期(1981年-1987年) |
前身 | 沙田海 |
施設 |
商業施設 駐車場 プール 小学校 中学校 |
住宅はフォーチュングループ(富城集団)の「百得物業管理有限公司」が管理している。
歴史
編集沙田第一城の建つ圓洲角一帯は、もともと沙田海であった。1979年、香港政府は沙田ニュータウンの開発に伴い、600万平方フィート以上の埋め立てを行った。開発では、恒基兆業、新世界発展、新鴻基地産、長江実業の4者で結成された「百得置業」が、2,000万香港ドルで落札した。埋め立て完了後、土地の70%は公営住宅や公共施設の用地として政府所有となり、残りの250万平方フィートが民間住宅として開発された。所在地が沙田市の一番地であることから、「沙田第一城」と名付けられ、1981年から1987年までの間に段階的に入居が行われた。
住宅
編集沙田第一城は、27階〜34階の住宅棟52棟から構成されている。開発は7期に分けて行われ、合わせて10,642戸の住宅が建設された。各戸の床面積は389〜1,018平方フィート。各階の戸数が4、6、8の3種類の住宅があり、すべてベランダがついている。
開発 | 棟番号 | 階数 | 各階戸数 | 戸数 | 入居年月 |
第一期 | 1 | 27 | 8 | 216 | 1981年1月 |
2 | |||||
3 | 1981年5月 | ||||
4 | 4 | 108 | 1981年2月 | ||
5 | 1980年10月 | ||||
6 | |||||
7 | 33 | 6 | 196 | 1981年4月 | |
8 | 30 | 8 | 240 | 1981年5月 | |
9 | |||||
10 | 1981年6月 | ||||
11 | 33 | 6 | 196 | 1981年5月 | |
12 | 1981年4月 | ||||
13 | 27 | 4 | 108 | 1981年3月 | |
14 | |||||
第二期 | 15 | 108 | 1982年4月 | ||
16 | 30 | 8 | 240 | ||
17 | 27 | 216 | |||
18 | 33 | 6 | 198 | ||
19 | 30 | 8 | 240 | ||
20 | 27 | 216 | |||
21 | 30 | 240 | |||
22 | 33 | 6 | 198 | ||
23 | 27 | 8 | 216 | ||
第六期 | 24 | 30 | 240 | 1986年7月 | |
25 | 4 | 120 | |||
26 | 8 | 240 | |||
第五期 | 27 | 28 | 4 | 112 | 1985年10月 |
28 | |||||
第三期 | 29 | 30 | 8 | 240 | 1983年8月 |
30 | |||||
31 | |||||
32 | |||||
33 | 27 | 4 | 108 | ||
第七期 | 34 | 34 | 136 | 1987年10月 | |
35 | |||||
36 | 33 | 8 | 264 | ||
第四期 | 37 | 30 | 240 | 1985年5月 | |
38 | |||||
39 | |||||
40 | |||||
41 | |||||
42 | |||||
43 | |||||
44 | |||||
45 | |||||
第五期 | 46 | 1986年1月 | |||
47 | |||||
48 | |||||
49 | |||||
50 | |||||
51 | |||||
52 |
娯楽・商業施設
編集沙田第一城には、銀城街の南東にフォーチュン・シティワン(置富第一城、旧・第一城中心)、銀城街の北西にフォーチュン・シティワン・プラス(置富第一城・楽薈、旧・銀城商塲)の商業施設が置かれている。また、50mプール、卓球コート、スカッシュコート、冷暖房完備の市場、ガソリンスタンド、図書館、屋外バスケットボールコート3つ、児童公園4つ、テニスコート5つが備えられている。
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フォーチュン・シティワン
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フォーチュン・シティワン・プラス
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第一城市場
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児童公園
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健康器具のある「耆康園」
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第一城の地図
病院・教育
編集病院
- プリンス・オブ・ウェールズ病院(威爾斯親王醫院)
- 圓洲角普通科診所
小学校
中学校
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浸信会呂明才小学
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胡素貞博士記念学校
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聖公会林裘謀中学
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東華三院邱金元中学
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五旬節林漢光中学
交通
編集- 大涌橋路
- 九龍・新界方面:38B、40S、40X、43S、43X、73A、80K、81C、83K、85A、85K、86、86C、86K、86S、87D、240X、263A、281A、281B、284、286C、289R、299X、N281
- 香港島方面:88R、182、682B、N182
- ランタオ島・空港方面:A41、A41P、NA40、NA41
- ミニバス:65A、65K、65S、67A、67K、803、804、806A、810、811B、811S、813、813A
- 沙田第一城バスターミナル
- 九龍・新界方面:61R、84M、281A
- 香港島方面:88R、182、682B、682C、N182、NR88(平日朝のみ)
- ミニバス:65S
- 小瀝源路
- 九龍・新界方面:61R、73A、80K、82K、83K、85A、85X、89C
- 香港島方面:680、680A、682、682B、682C、980A、N680
- ミニバス:65A、65K、65S、67A、804、806A、811、811A、811P、813、813A
- 挿桅杆街/銀城街
- 九龍・新界方面:49X、73A、82C、82K、82X、84M、85A、86、89C、89X、240X、281A
- 香港島方面:88R、182、682C、N182
- ランタオ島方面:A41、N42、NA41
- ミニバス:65S、804、806A、808、811、811A、811P、811S、NR927、NR933
主な出来事
編集- 1986年1月26日、第12棟の31階で爆発事故があり、その部屋の男性と、飛んできたエアコンに当たった通行人の男女各1名が死亡した[1][2]。
- 1989年9月1日、住人で芸能人の鍾保羅が借金苦から飛び降り自殺。30歳没。
- 1990年9月6日、第48棟の28階で爆発事故があった。居住者がガスを使った自殺をしたためで、死者1名負傷者9名を出した[3][4][5][6]。
- 2008年3月31日の深夜、第17棟の23階で、43歳、41歳の姉弟、66歳の母親が寝室で練炭を燃やして自殺した。現場に残された遺書や手紙から債務問題が関係しているとされる。悪臭のため隣人が通報し、警察が駆けつけたことで発覚した。
- 2005年12月1日、地元住民の要請を受け、団地内の圓洲角郵便局を沙田第一城郵便局に改称した。
- 2011年7月、置富産業信託は、商業施設を「フォーチュン・シティワン」と「フォーチュン・シティワン・プラス」に改称した。
- 2015年6月、香港中連弁は、新界工作部幹部の宿舎として、10部屋を5,000万元で購入した。
- 2016年3月8日、第2棟の9階で、夫婦が愛犬とともに練炭自殺した。外国人家政婦から警察に通報があった。うつ病と経済問題を苦にしたものとされる[7]。
出典
編集- ^ “沙田第一城發生罕見事件 家庭煤氣大爆炸三死四傷 當局設專案組作綜合研究 警方證實無可疑 爆炸時大廈震動”. 大公報第一版. (1986年1月27日)
- ^ “沙田第一城煤氣爆炸三死四傷 所有煤氣掣均關閉 從何洩漏耐人尋味”. 華僑日報第一張第一頁. (1986年1月27日)
- ^ “第一城搖動火炭也聞巨響 全層樓宇門窗盡炸毀 現場男焦屍斷手斷脚 十個單位嚴重受損鄰居九住客受傷”. 大公報第一版. (1990年9月7日)
- ^ “第一城疑開煤氣自殺起爆炸 聲如雷響毀八單位一死九傷”. 華僑日報第一版. (1990年9月7日)
- ^ “《新聞透視》煤氣爆炸”. 電視廣播有限公司. (1990年9月15日) 2020年9月10日閲覧。
- ^ “【當年今日】9月6日 沙田第一城煤氣爆炸 ATV”. 亞洲電視數碼媒體. (2020年9月5日) 2020年9月10日閲覧。
- ^ “沙田第一城3屍案 男女疑涉財困愛犬陪死”. 香港經濟日報. (2016年3月8日). オリジナルの2016年3月9日時点におけるアーカイブ。 2016年3月8日閲覧。