沖家室島
山口県、周防大島諸島の島
沖家室島(おきかむろじま)は、瀬戸内海西部の防予諸島にある島である。山口県大島郡周防大島町に属する。
沖家室島 | |
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沖家室島の空中写真。 撮影時(1981年)沖家室島大橋は架橋工事中である。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1981年撮影) | |
所在地 | 日本 山口県大島郡周防大島町 |
所在海域 | 伊予灘(瀬戸内海) |
所属諸島 | 防予諸島 |
座標 | 北緯33度51分5秒 東経132度21分51.6秒 / 北緯33.85139度 東経132.364333度座標: 北緯33度51分5秒 東経132度21分51.6秒 / 北緯33.85139度 東経132.364333度 |
面積 | 約0.95 km² |
海岸線長 | 約5.0 km |
プロジェクト 地形 |
概要
編集屋代島佐連の南400 mに位置する人口137人(平成27年国勢調査)の小島で、高齢化率が日本最高水準。『日本一の長寿郷』(榎並悦子著、大月書店、1995年)[1]の舞台となった島でもある。地元の人たちは「かむろ」と呼ぶこともある。
島内はほとんど海まで山が迫っており、平地は全くないといってもいいほどである。南の沖合はそれほど深くならず浅瀬もある。
交通
編集島内の主要交通路は、島を半周して周防大島とを結ぶ山口県道362号白木漁港佐連線である。1983年3月18日に沖家室大橋(全長380 m)が完成したことにより、周防大島との間は陸続きとなっている。
産業
編集歴史
編集瀬戸内海を帆船が行き来していた頃はこの島もにぎわいを見せ、江戸時代には萩藩の番所が置かれていた。明治時代には人口が3000人が超え、人口密度が国内最高だった[2]。対馬、朝鮮、台湾、ハワイ諸島沖まで出漁し、またハワイや日本領となった朝鮮、台湾に移民を行っていた。しかし人口は昭和前期を境に減少し始め、現在人口は約200人となっている。
その他
編集- 「沖家室の漁村集落」が、2006年(平成18年)に水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれた。
- 毎年お盆の時期になると、島から外に働きに出た人などが大勢帰省し、普段の10倍以上の人口となる。その重みで島が沈むほどというたとえで「盆に沈む島」と呼ばれる[3][4][5]。
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沖家室大橋
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沖家室島集落
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沖家室郵便局
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沖家室中学校跡地
脚註
編集- ^ 日本一の長寿郷大月書店(2018年10月4日閲覧)。
- ^ a b 新山玄雄:移民と故郷つなぐ島便り◇山口県沖家室島から世界へ 日常を発信する「潮音」◇『日本経済新聞』朝刊2018年10月3日(文化面)2018年10月4日閲覧。
- ^ 特集 周防大島沖家室島 (JR西日本 ブルーシグナル 第155号(2014年7月号)) 2017年1月2日確認
- ^ 新瀬戸内海論 島びと20世紀 第4部 視線は高く(12) ~大往生~ 沖家室島 四国新聞 2000年11月配信 2017年1月9日確認
- ^ 『中国新聞』2002年8月10日朝刊 特報2002 2017年1月9日確認