沈曽植
1850-1922, 清末~民初の官僚
沈 曽植(しん そうしょく、1850年 - 1922年11月20日)は、清末民初の官僚・歴史家。字は子培、号は巽斎または乙盦、晩年は寐叟と号した。浙江省嘉興府嘉興県の出身。
沈曽植 | |
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プロフィール | |
出生: | 1850年(清道光30年) |
死去: |
1922年(民国11年) 中華民国 |
出身地: | 清浙江省嘉興府嘉興県 |
職業: | 官僚・歴史家 |
各種表記 | |
繁体字: | 沈曾植 |
簡体字: | 沈曽植 |
拼音: | Shěn Zēngzhí |
ラテン字: | Shen Tzeng-chih |
和名表記: | しん そうしょく |
発音転記: | シェン・ゾンヂー |
1880年、進士となり、刑部主事、員外郎、郎中を歴任した。1895年、康有為や梁啓超とともに強学会を設立し、変法運動を推進した。1898年、母の死で離職し、湖広総督張之洞の招きで武昌の両湖書院で史学を講義した。1900年、義和団の乱が発生すると両広総督李鴻章・両江総督劉坤一・湖広総督張之洞が東南互保を結ぶのに奔走した。その後盛宣懐の招きで上海南洋公学(現在の上海交通大学)監督となり、江西省広信府知府、安徽提学使、安徽布政使を歴任した。1910年に引退。辛亥革命後は上海に隠棲し、邸宅を海日楼と称した。1917年、張勲復辟に参加し学部尚書に任命された。
著作
編集- 『元秘史箋註』
- 『蒙古源流箋證』
- 『辛丑箚叢』
- 『研図注篆之居随筆』
- 『全拙庵温故録』
- 『寐叟題跋』
- 『護徳瓶斎渉筆録』
- 『漢律輯補』
- 『晋書刑法志補』
- 『海日楼文集』
- 『海日楼箚叢』
- 『海日楼題跋』
- 『海日楼詩集』
- 『菌閣瑣談』
- 『病僧行』
- 『秋斎雑詩八首』
- 『鬻医篇』