池田長政 (建部池田家)
江戸時代前期の岡山藩家老。建部池田家(森寺池田家)4代。池田長吉の三男
池田 長政(いけだ ながまさ)は、江戸時代前期の岡山藩の家老。通称は長門、下総。建部池田家(森寺池田家)4代当主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正17年(1589年) |
死没 | 寛永11年6月29日(1634年7月24日) |
別名 | 長門、下総(通称) |
主君 | 池田光政 |
藩 | 岡山藩 |
氏族 | 池田氏(長吉流) |
父母 |
池田長吉、伊木忠次娘 森寺長貞 |
兄弟 | 長幸、森寺長貞、長政、長頼、長賢 |
子 | 長泰 |
略歴
編集天正17年(1589年)、京都聚楽第の池田家屋敷で池田長吉(池田輝政の弟)の三男として誕生。
慶長11年(1606年)、池田家家臣・森寺忠勝の家督を継いでいた兄の長貞が夭折したため、翌慶長12年(1607年)にその養子となる形で家督を相続した。知行高1万4000石。池田家の筆頭家老に伊木長門忠繁がいたため、藩主の命で通称を長門から下総に改める。後に姓を森寺から池田氏に戻した。
元和3年(1617年)、主君池田光政の因幡国・伯耆国への移封に伴い、伯耆黒坂に移る。寛永9年(1632年)、光政の備前国岡山への移封に伴い、備前建部に移り、陣屋(幕府をはばかり御茶屋と称した)を構え代々領したため建部池田家と呼ばれた。
系譜
編集参考文献
編集- 『池田老臣累記』
- 『備前家老略伝』
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