池田 英政(いけだ ひでまさ、生年不詳)は、江戸時代後期(18世紀後期)の関宿藩士、随筆家。初名の正樹(まさき)の名でも知られている。通称は権左衛門・作之丞・作之進。母は喜多山氏。

経歴

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巣鴨・本妙寺の墓誌によれば天保2年(1831年)8月8日没。明和6年(1769年)に主君久世広明大坂城代任命に伴い、父とともに大坂に赴任を命じられる。安永3年(1774年)まで大坂に在任し、その際に見聞したことを随筆『難波噺』としてまとめ、明和・安永期の大坂の様子・風俗に関する様々な記述を残した(戦後、『随筆百花苑』に所収されて広く知られることになる)。この間、安永2年(1773年)に家督を継承し、安永3年11月にを「英政」と改名した。『難波噺』の記述は同年末で終わる。その後の動向は、安永6年(1777年)に広明が京都所司代に任命されると、京都に赴任している。大坂・京都時代には上方文人と交流し、木村蒹葭堂加藤景範らと親交があったことが知られている。文化武鑑には文化14年(1817年)まで近習頭として掲載されている。

参考文献

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