池田延俊
因幡鹿奴藩(鳥取東館新田藩)5代藩主。池田仲庸の次男。従五位下、修理亮。江戸幕府 公家接待役
池田 延俊(いけだ のぶとし)は、因幡鹿奴藩(鳥取東館新田藩)の第5代藩主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦4年2月17日(1754年3月10日) |
死没 | 明和8年3月7日(1771年4月21日) |
改名 | 慶次郎(幼名)、延俊 |
戒名 | 仁厚院礼容玄智 |
墓所 | 鳥取県鳥取市国府町奥谷の池田家墓所 |
官位 | 従五位下、修理亮 |
幕府 | 江戸幕府 公家接待役 |
藩 | 因幡国鹿奴藩主 |
氏族 | 池田氏 |
父母 |
父:池田仲庸、母:鈴木氏 養父:池田澄延 |
兄弟 | 澄延、延俊、安之助、数計子(勧修寺経逸室) |
子 | 実子:なし、養子:澄時 |
略歴
編集宝暦4年(1754年)2月17日、第3代藩主・池田仲庸の次男として江戸で生まれる。
明和6年(1769年)に同母兄で第4代藩主の澄延が死去したため、その養子として家督を継ぎ、12月19日に従五位下・修理亮に叙位・任官する。明和7年(1770年)2月には幕命で公家接待役を務めたが、明和8年(1771年)3月7日、鳥取で死去した。享年18。
実子がなかったため、跡を養子の澄時が継いだ。