池内基周
日本の建築家
人物
編集1941年(昭和16年)に横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)卒業後、内匠寮匠生に採用され、1942年(昭和17年)に宮内技手となる[1]。その後招集、復員を経て、宮内府、宮内庁に勤務した[1]。
1956年(昭和31年)に宮内庁管理部工務課建築第一係に所属[1]。1957年(昭和32年)に宮殿造営調査室の企画主任を拝命、1958年(昭和33年)には企画係長となった[1]。
1963年(昭和38年)からの臨時皇居造営部では、造営課企画係長および課長補佐をつとめた[1]。
その後、管理部工務課に戻り、1969年(昭和44年)に課長補佐、1978年(昭和53年)に工務課長となったのち、1981年(昭和56年)に退官[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 鈴木博之監修、内匠寮の人と作品刊行委員会編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年。