江戸鶴子
結城秀康の正室、のち烏丸光広の正室
江戸 鶴子(えど つるこ、生年不詳 - 元和7年7月29日(1621年9月15日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。
略歴
編集常陸国水戸城城主・江戸重通の次女として誕生[1]。のち、祖父・結城晴朝の養女となり[1]、天正18年(1590年)、秀康に嫁ぐ[3]。
秀康とは不仲で子供にも恵まれなかった。秀康の死後、その母・長勝院の取り持ちで烏丸光広と再婚し、鶴松という子を得た。鶴松は三代松平忠昌のとき越前に来て千石の知行を与えられたが、まもなく死去したという[4]。
元和7年(1621年)7月29日、京で死去した[1]。広布山本満寺に葬られた[1]。法号は蓮乗院殿心誉霊光妙徹大姉[1]。