江利門 五左衛門(えりかど ござえもん、安永3年(1774年) - 文化9年11月21日1812年12月24日[1]))は、江戸時代後期の一揆指導者[2]。姓は江利角とも[2]

経歴・人物

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豊前下毛郡多志田村(現:大分県中津市本耶馬渓町多志田)の庄屋[2]

文化9年(1812年)に宇佐郡香下村より伸びる桂掛井堰[3](俗に赤尾井手とも[3])建設による地租追徴と新税導入の解除を中津藩に嘆願するものの、聞き入れられず赤尾丹治(宇佐郡赤尾村の庄屋[3])らと共に蜂起[2]。捕らえられ他7人と共に[3]処刑された[2]

脚注

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  1. ^ 和暦・西暦対照表〔1811年1月1日(文化7年12月7日)~1812年12月31日(文化9年11月28日)〕、2018年10月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『江利門五左衛門』 - コトバンク
  3. ^ a b c d 龍膽・小野精一編「大分県人名辞典」本文編