日露戦争に伴い、永興湾の安全を確保し、また損傷艦船の修理を行うため、1904年8月、第4臨時築城団が編成され、12砲台が建設された。1905年5月、永興湾要塞司令部が元山に設置された。
本要塞はその後に増強は行われず、虎島第3砲台が廃止され、大島第2砲台・虎島第4砲台が予備砲台となるなど縮小された。
- 1905年(明治38年)2月 - 薪島第1砲台・薪島第2砲台・大島第1砲台・大島第2砲台・虎島第3砲台・虎島第4砲台着工
- 3月 - 虎島第1砲台・虎島第2砲台・新樟里砲台・元平里砲台・鶯城砲台・南端砲台着工
- 5月 - 永興湾要塞司令部設置
- 7月 - 薪島第1砲台・薪島第2砲台・大島第1砲台・大島第2砲台・虎島第1砲台・虎島第3砲台竣工
- 8月 - 虎島第2砲台・虎島第4砲台・新樟里砲台・元平里砲台・鶯城砲台・南端砲台竣工
- 1912年(大正2年)10月11日 - 要塞司令部が咸鏡南道元山府に移転[1]。
- 薪島第1砲台
- 薪島第2砲台
- 大島第1砲台
- 大島第2砲台 ※のち要塞整理により火砲を撤去し予備砲台となる。
- 虎島第1砲台
- 虎島第2砲台
- 虎島第3砲台 ※のち要塞整理により除籍廃止。
- 虎島第4砲台 ※のち要塞整理により火砲を撤去し予備砲台となる。
- 新樟里砲台
- 元平里砲台
- 鶯城砲台
- 南端砲台
- (兼)土居源市 砲兵少佐:1905年 - 1907年2月28日
- 土居源市 砲兵少佐:1907年2月28日 - 10月9日
- 内藤瀧蔵 砲兵少佐:1907年10月9日 -
- 服部米次郎 砲兵少佐:1908年12月21日 -
- 山下弥太郎 砲兵少佐:1910年6月21日 -
※この間不明。
- 小森龍三 砲兵少佐:1920年8月10日[2] -
- 武川鎤 砲兵少佐:1921年7月20日[3] -
- 山根信一郎 砲兵中佐:1924年12月15日[4] -
- 木全良雄 中佐:1927年7月26日 -
- 武雄清吾 中佐:1928年8月10日 -
- 池永武雄 中佐:1931年8月1日 -
- 横浜和義 大佐:1933年8月1日 -
- 池田竜三郎 大佐:1935年3月15日 -
- 砂川泰 大佐:1936年8月1日 -
- 田中久 大佐:1938年3月1日 -
- 松島唯雄 大佐:1939年11月10日 -
- 多田勇夫 大佐:1943年8月2日 -
- ^ 『官報』第371号、大正2年10月23日。
- ^ 『官報』第2408号、大正9年8月11日。
- ^ 『官報』第2692号、大正10年7月21日。
- ^ 『官報』第3696号、大正13年12月16日。
- 浄法寺朝美『日本築城史 : 近代の沿岸築城と要塞』原書房、1971年12月1日。NDLJP:12283210。
- 歴史群像シリーズ『日本の要塞 - 忘れられた帝国の城塞』学習研究社、2003年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 『官報』