永田裕治
永田 裕治(ながた ゆうじ、1963年10月18日 - )は、兵庫県西宮市出身の高校野球指導者、高等学校教諭(保健体育科)である[1][2]。
日本大学三島高等学校 監督 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県西宮市 |
生年月日 | 1963年10月18日(61歳) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
| |
この表について
|
来歴
編集報徳学園高等学校時代は、3年時に出場した第63回全国高等学校野球選手権大会に7番・右翼手で全国制覇[3]。エースで4番だった金村義明とは同級生にあたる[1]。
教師を目指して中京大学に進学し、卒業後は1987年から大阪市立桜宮高等学校のコーチに就任。1990年から母校である報徳学園高校のコーチを務めた後、1994年に監督に就任した[3]。
報徳学園監督
編集就任翌年の1995年春にチームを6年ぶりに甲子園に導くと、2002年に行われた第74回選抜高等学校野球大会では、チームを28年ぶり2度目の優勝に導いた[4]。
「全員野球」を信条に甲子園春11回・夏7回出場、通算23勝の成績を残した[1]。2017年1月27日に退任が発表された。後任は部長の大角健二。出場が決まっていた同年春の甲子園ではベスト4に進出したが、準決勝で履正社に4-6で惜敗し、これが報徳学園監督としては最後の采配となった。以後も報徳学園高校には教員として残った[5]。その後は2018年に第12回BFA U18アジア選手権(3位)の監督[4]、2019年に第29回WBSC U-18ワールドカップ(5位)の監督を務めた[4]。
日本大学三島監督
編集2019年12月5日に翌2020年4月1日付で日本大学三島高等学校に保健体育科教員として着任するとともに、野球部の監督に就任することが同校より発表された[3]。就任2年目の2021年、秋の都道府県大会で優勝し[6]、東海大会でも優勝[7]。2022年春の第94回選抜高等学校野球大会への出場を決めた。日大三島としては、実に38年ぶりの選抜出場になる[8]第104回全国高等学校野球選手権大会にも33年ぶり2回目の出場を果たした。
主な成績
編集選手時代
編集- 第63回全国高等学校野球選手権大会
- 報徳学園高等学校:優勝
監督・部長時代
編集- 第32回明治神宮野球大会
- 報徳学園高等学校:優勝
- 第74回選抜高等学校野球大会
- 報徳学園高等学校:優勝
脚注
編集- ^ a b c “元報徳学園・永田裕治氏が日大三島監督として「全員野球」で甲子園目指す”. スポーツ報知 (2020年4月19日). 2021年7月13日閲覧。
- ^ “永田裕治(プロフィール)”. 球歴.com. (2020年4月2日) 2020年4月2日閲覧。
- ^ a b c “永田裕治(日大三島高監督)インタビュー『全員野球』の真意 甲子園通算23勝。静岡で新たな挑戦 「野球のことはさることながら、ええ教員でありたい」”. 週刊ベースボールONLINE (2020年4月20日). 2021年7月13日閲覧。
- ^ a b c “前報徳監督の永田氏「光栄思います」日大三島に赴任”. 日刊スポーツ (2019年12月5日). 2021年7月13日閲覧。
- ^ “U18代表監督に前報徳学園・永田裕治氏が最有力”. 日刊スポーツ (2017年12月22日). 2021年7月13日閲覧。
- ^ “秋季高校野球:秋季東海地区高校野球大会 日大三島、準決勝進出 聖隷クリストファー 大勝で2回戦へ /静岡”. 毎日新聞. 2022年2月1日閲覧。
- ^ “秋季高校野球:秋季東海地区高校野球大会 日大三島、初制覇 聖隷との県勢対決制す /静岡”. 毎日新聞. 2022年2月1日閲覧。
- ^ “日大三島、38年ぶりの選抜高校野球 春夏18回の名将、就任2年で吉報”. 毎日新聞. 2022年2月1日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 永田 裕治 - 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト