初代 永田 吉右衛門(ながた きちうえもん、1848年嘉永元年4月[1][2]) - 1901年明治34年)6月12日[2][注 1])は、明治時代の政治家銀行家大地主[3]衆議院議員岐阜県大野郡高山町長。本姓は森[4]。名は道俊、号は五松庵[4]

経歴

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飛騨国大野郡、のちの高山町(現高山市)出身[1][3][4]。本姓は森でのち高山の素封家永田家を継いだ[4]

1871年(明治4年)2月、高山町二之町に産物会所を開設し、福田吉郎兵衛らとともに産物方として飛騨の振興発展に努めた[4]1889年(明治22年)7月1日、市町制実施に伴い高山町長に就任した[4]。ほか、三星製糸製織場を建設した[4]。財界では、飛騨銀行[注 2]、濃飛農工銀行[注 3]、十二銀行[注 4]各取締役を歴任した[2]

1894年(明治27年)3月の第3回衆議院議員総選挙では岐阜県第7区から出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]1897年(明治30年)8月、大地主互選議員として大野郡会議員に推挙された[4]。晩年は和歌を能くした[4]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『岐阜県郷土偉人伝』670頁では明治34年3月12日没。
  2. ^ 十六銀行の前身行のひとつ。
  3. ^ みずほ銀行の前身行のひとつ。
  4. ^ 北陸銀行の前身行のひとつ。

出典

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参考文献

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