永井鱗太郎
永井 鱗太郎(ながい りんたろう、1907年(明治40年)2月26日 - 1985年(昭和60年)11月5日)は、日本の児童劇作家。福井県あわら市(旧金津町八日)出身[1]。本名は善太郎。1927年、福井師範学校を卒業。福井県あわら市伊井小学校で小学校教師を始めるが、1933年に上京。東京でも小学校教師として働くかたわら、1936年に正善達三らと[1]児童劇団「子供町」を結成(1944年解散)。戦後文筆生活にはいる。児童劇脚本研究会「こまの会」を主宰。1953年『お月さまをたべたやっこだこ』で小学館児童文化賞受賞。1980年、日本児童演劇協会功労賞受賞[1]。1984年には芸術文化功労者として勲五等瑞宝章を受けた[1]。日本児童演劇協会常任理事を務めた[2]。
あわら市金津東小学校校歌を作詞。
福井県あわら市刈安山山頂の自然公園内に歌碑がある(1985年10月建立)。
著書
編集- 『太陽もこどもだ 長編童話』平和情報社、1949
- 『あかいおりづる 幼年劇集』角浩等絵 誠文堂新光社、1951
- 『銀いろの雨 中学校演劇集』目黒書店、1951
- 『学校劇十二カ月』誠文堂新光社、1953
- 『はとぶえぽうぽう 幼年劇集』未明社、1954
- 『日本むかしばなし』学習研究社 二年の学習文庫、1957
- 『学校劇図説』図説全集 岩崎書店、1958
- 歌集『かりやす』(スバル叢書第28篇)短歌新聞社、1984