永井 直種(ながい なおたね)は、江戸時代前期の大名摂津高槻藩の第3代藩主。

 
永井 直種
時代 江戸時代前期
生誕 万治元年(1658年
死没 元禄8年4月22日1695年6月3日
改名 亀之助(幼名)、直種
別名 尚仍、直只、直賢、民部(通称
戒名 月渓宗印真浄院
墓所 京都府京都市東山区の泉涌寺悲田院
官位 従五位下、日向守、近江
幕府 江戸幕府
摂津国高槻藩
氏族 永井氏
父母 父:永井尚征、養父:永井直時
兄弟 尚房尚長直種伝勝直圓
正室:田村宗良の娘
直英、娘(永井直達正室)
養子:直達
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略伝

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万治元年(1658年)、山城淀藩永井尚征の四男として淀で生まれる。延宝5年(1677年)5月16日、同族で姉妹の嫁ぎ先でもあった高槻藩第2代藩主永井直時の養子となり、延宝8年(1680年)に直時が死去したため、閏8月19日にその跡を継いだ。元禄8年(1695年)4月22日に死去した[1]。享年38。

実子の直英は幼少のため、婿養子で甥の直達が跡を継いだ。直英は直達の養子として跡を継ぐこととなる。

短命だったが、儒学や武芸に優れていたと伝えられる。また絵を嗜んでいたらしく、高槻市立しろあと歴史館には家老の関家に伝来した「一聖ニ賢人図(曾子孔子顔子)」や、上宮天満宮には「天神図」が現存している。

脚注

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  1. ^ 寛政重修諸家譜』巻第六百二十二