水野 稔(みずの みのる、1911年4月15日[1][2] - 1997年8月19日[1])は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、特に山東京伝

来歴

編集

兵庫県姫路市生まれ[1]。1920年に急逝した兄の影響を受けて、近世文学研究を志す[1]姫路高等学校文科甲類を経て[1]、1933年東京大学文学部国文学科を卒業[1]。1935年、同大学大学院を修了[1]。1939年仙台陸軍幼年学校教授[1]。1940年姫路高校時代の恩師だった原田虎男の長女と結婚[1]。1942年陸軍予科士官学校教授[1]。1946年兵庫県立姫路商業学校教諭、1949年兵庫県立姫路工業大学付属高等学校教諭と兵庫県立姫路工業大学講師を兼任[1]。1955年、明治大学文学部助教授[1]、1960年同教授[1]。1982年同大学を定年退職[1]。1991年、交通事故に遭い、晩年まで車いす生活となる[1]。1997年、慢性腎不全のため死去[2](遺族による年譜では心不全となっている[1])。

1999年、旧蔵書が明治大学図書館に収められ、「江戸文芸文庫」となる[1]

著書

編集

単著

編著

校注本

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 水野稔著、小池奈都子・内村和至編『江戸文芸とともに』ぺりかん社、2002年8月、801-819頁。 
  2. ^ a b 『現代物故者事典 1997~1999』(日外アソシエーツ、2000年)p.565

参考文献

編集
  • 『日本古典文学全集』編者紹介