水心子正秀 (初代)
江戸時代後期の刀工
水心子 正秀(すいしんし まさひで、寛延3年(1750年) - 文政8年9月27日(1825年11月7日))は江戸時代後期の刀工である。本名は川部儀八郎[1]。古代の鍛刀法を研究し新々刀を制作したとされる[2]。正秀の一門は大慶直胤、細川正義などの弟子が知られるなど、刀剣研究家の飯田一雄は刀工の中でも珍しい教育者であると指摘している[3]。銘は「英国」「水心子正秀」「川部儀八郎藤原正日出」「秋元臣川部儀八郎藤原正秀作」「羽州山形之臣川部儀八郎藤原正秀」「水心藤原正秀」「水心正日出」[4]。
来歴
編集羽州米沢藩領の中山村諏訪原(山形県南陽市元中山)に生まれる[5]。幼名は三治郎[5]。父を早くに亡くし、母と共に本家筋の鈴木権次郎方に向かい、そこで宝暦12年(1762年)頃から明和4年(1767年)頃まで養育される[5]。その後母と共に赤湯町外山家に身を寄せ、18歳頃に鍛冶屋に弟子入りする[5]。 その後「鈴木三郎卓英」と名乗り、山形城下にて英国(てるくに)と改称する[5]。明和8年(1771年)江戸の八王子にて下原吉英の門下に入る[5]。
研究について
編集冶金学者の俵国一は『剣工秘伝志』から正秀は古代において刀工自身が鉄を採取・製造していたことから、任意に炭素の量を調整するために、刀工自身が製鉄を行うべきとしている[6]。
著書
編集脚注
編集出典
編集参考文献
編集- 『新版日本刀講座』、雄山閣、1997年 NCID BA33698475
- 飯田一雄『日本刀工 刀銘大鑑』(初)淡交社、2016年3月7日。ISBN 978-4-473-04075-6。 NCID BB20941782。
- 須崎寛二(編集主任); 今野竹蔵; 山口文吾; 前田みゆき; 菊池登美子 著、錦三郎、伊藤直俊 編「第三節 刀工・水心子正秀」『南陽市史 中巻(近世)』、南陽市、1991年3月30日。
- 俵國一「日本刀の科學的研究 第一章 日本刀の原料として包丁鐵卸し鐵」『日本刀講座(科学編)』第2巻、雄山閣、1934年 。