水呑百姓
江戸時代の石高を持たない農民
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水呑百姓(みずのみびゃくしょう)は、貧しくて水しか呑めない[1]ような百姓を指す、江戸時代の貧農の呼称。主に江戸時代の年貢の賦課基準となる石高や役を持たず、自分の土地を所有しない農民を指す。
特徴
編集水呑百姓は田畑を所有していないため年貢などの義務はないが、その代わりに村の構成員とは認められず、発言権も付与されない低い身分となっていた。親族からの身分継承だけでなく、百姓の次男や三男、本百姓から転落した者などもおり、江戸時代の農村の農奴層を形成していた。
江戸時代初期には、年貢の他に各種の賦役を負う家が定められた。賦役の負担する量や種類によって、本役・半役・四(小)半役・水役などに分かれていた。これが、本来の百姓だったと考えられている。17世紀半ば以降このような制度は崩れていき、石高を所有して入会地・用水管理などの資格を持つ者が百姓と呼ばれた。石高を持たない者は水呑と呼ばれ、江戸時代後期になると「本百姓」「水呑百姓」などと区分されるようになった。
出典・参考文献
編集脚注
編集- ^ 土地を持ってないので産物を得られるはずもなく、自由にできるのは「水のみ」であるため