民族芸能を守る会(みんぞくげいのうをまもるかい)は、民族芸能の伝承と育成を目的とした芸能関連の任意団体。「民俗芸能~」は誤り。

概要

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1961年6月14日、『民族芸能を守る会』発足。会長はタカクラテル、副会長は小生夢坊(こいけ・むぼう)。上野・本牧亭にて月1回の例会を開催[1]。独自に開催する会のみならず多くの地域寄席と連携をとり、勉強の場としての落語会の輪を広げていった。

  • 1971年に会報『民族芸能』を創刊。演芸関係の文章・聞き書きなどが数多く掲載され、演芸研究のための貴重な資料となっている[2]
  • 会報に書いた文章が『落語家論』にまとめられた柳家小三治曰く「思ったことを思い浮かんだままに書いたってだけで。あそこは共産党系ですけど、だからといって別に共産党をヨイショもしてないし。共産党って別に好きじゃないんですよ(笑)。「赤旗まつり」ってとこに毎年引っ張り出されたけどね。[2]」とのこと。
  • 1961年の第4回日本共産党の赤旗まつりから40回以上「青空寄席」で協力。数多くの人が野外で演芸を観る貴重な機会を提供した。
  • 発足時から亡くなるまで事務局長(晩年は名誉事務局長)を務めた茨木一子(いばらぎかずこ、 - 2009年5月)は、柳家小三治に「不思議な人」と呼ばれてその魅力は多くの芸人から愛された[1]
  • 関東を中心としたイオンでの寄席に携わってきた。
  • 現在も中心メンバーとして稲田和浩が関わる。
  • 数回の活動休止[3]を経ている。

以下浪曲関連のみ抜き出し。

脚注

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  1. ^ a b 柏木新『落語の歴史』本の泉社、2012年2月25日、163-171頁。ISBN 9784780707441 
  2. ^ a b 広瀬和生p.22
  3. ^ 2003年、2021年。

参考文献・外部ページ

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