毛利広矩
江戸時代中期の周防徳山藩の世嗣。毛利広豊の長男
毛利 広矩(もうり ひろのり)は、江戸時代中期の周防国徳山藩の世嗣。通称は数馬。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保18年5月16日(1733年6月27日) |
死没 | 宝暦7年8月14日(1757年9月26日) |
別名 | 数馬(通称) |
戒名 | 慈徳院仁嶽道忠 |
藩 | 周防徳山藩世嗣 |
氏族 | 毛利氏 |
父母 | 毛利広豊 |
兄弟 |
広矩、広寛、松野助紑、小笠原正良、 就盈、森豊嘉、吉川経倫、就馴、 土方勝幼、大島義順、粟屋清平、 笹川芳和、美代子、要子、遊、好子、 鉄子、武子、栄子ら23男23女 |
略歴
編集5代藩主・毛利広豊の長男。
徳山藩嫡子として育ち、寛延2年(1749年)徳川家重に拝謁する。しかし家督を相続することなく、宝暦7年(1757年)に早世した。代わって、次弟・広寛が嫡子となった。
系譜
編集- 父:毛利広豊(1709-1773)
- 母:不詳
- 兄弟姉妹
- 長男:毛利広矩
- 次男:毛利広寛(1735-1764) - 徳山藩6代藩主
- 三男:三助 - 早世
- 四男:松野助紑 - 初名:豊都、家臣・松野助能の養子
- 五男:小笠原正良 - 初名:豊完、旗本・小笠原正衍の養子
- 六男:毛利就盈(1739-1776) - 厚狭毛利家当主・毛利元連の養子
- 七男:森豊嘉 - 家臣として森家を興した
- 八男:豊明 - 石清水豊蔵坊孝山法弟
- 九男:吉川経倫(1746-1803) - 初名:豊房、岩国領主・吉川経永の養子
- 十男:毛利就馴(1750-1828) - 兄・広寛の跡を継ぎ、徳山藩7代藩主
- 十一男:豊和 - 鳥羽寛直子分後、仏護寺天順附弟
- 十二男:吉之助 - 早世
- 十三男:豊正 - 奈古屋蔵人子分後、仏護寺大順附弟
- 十四男:土方勝幼 - 初名:豊候、家臣・土方勝芳の養子
- 十五男:大島義順 - 初名:豊敏、旗本・大島義苗の養子
- 十六男:松之助 - 早世
- 十七男:吉助 - 早世
- 十八男:亀五郎 - 早世
- 十九男:某 - 早世
- 二十男:粟屋清平 - 奈古屋蔵人子分後、山口藩士粟屋清通の養子
- 二十一男:笹川芳和 - 鳥羽寛直子分後、山口藩士笹川就猷の養子
- 二十二男:熊吉 - 早世
- 二十三男:又三郎 - 早世
- 長女:吉子 - 早世
- 次女:鶴槌子 - 早世
- 三女:春子 - 早世
- 四女:豊子 - 早世
- 五女:秀子 - 早世
- 六女:美代子 - 公家・八条隆輔室
- 七女:利子 - 早世
- 八女:久米子 - 吉田兼隆との縁談が決まるも嫁ぐ前に夭折
- 九女:松子 - 旗本・花房職朝の養女
- 十女:富子 - 早世
- 十一女:源子 - 早世
- 十二女:行子
- 十三女:猪野子 - 早世
- 十四女:要子 - 姉小路公聡室
- 十五女:遊 - 交代寄合・平野長純継室
- 十六女:好子 - 吉敷毛利家当主・毛利就兼正室
- 十七女:吉子 - 早世
- 十八女:鉄子 - 岡部利寛室
- 十九女:澄子 - 早世
- 二十女:武子 - 長州藩家老・福原就清継室
- 二十一女:栄子 - 粟屋俊満室
- 二十二女:多野子 - 早世
- 二十三女:幾子 - 早世