毎月抄』(まいげつしょう)は、1219年承久元年)歌人藤原定家が著した歌論書。藤原定家の真作か偽作(仮託)かについては論争がある[1]

概要

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書名は「毎月の御百首、能々拝見せしめ候ぬ。」と始まる書き出しによるもので、別に「和歌底訓」「定家卿消息」などの書名があり、いずれも原題ではないと考えられている[2]。毎月百首を定家の許に送ってきた人への「返報」という枠組みの中で展開された歌論書で、大量の和歌を詠む稽古修道論が強調されている[2]。和歌史に照らし合わせてみると、毎月「百首」を詠むような修練を前提とした『毎月抄』は、藤原為家以後の和歌世界を存立基盤とすると考えられる[2]

『毎月抄』の名の初出は頓阿井蛙抄』であり、中世に一定程度流布していたと考えられる[1]。事実、『毎月抄』には複数の伝本系統がある[3]

論旨

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十体と有心体・心と詞の関係・秀逸体・本歌取りや題詠の方法・歌病と詞の用捨などの論が展開され、前後に修行稽古の心得が述べられており、定家歌論書の中で最も充実した内容を持つとされる[2]。『毎月抄』の中心を成すのは有心体論と秀逸礼論であり、その他の部分は『近代秀歌』『詠歌大概』で説かれた技術論とほぼ同旨である[4]

本書で定家が提唱した十体とは、至高の体(有心躰)、崇高への志向性が感じられる(幽玄躰)、意味内容がなるほどと思われ確かさが感じられる(事可然躰)、表現に均整・調和などの整った感じがする(麗躰)、声調の緊張を保ち流麗感が強い(長高躰)、視覚的な描写が目立つ(見躰)、題に基づく趣向が知性的で巧みに行われている(面白躰)、着想の珍しさが目立つ(有一躰)、複雑な修辞技巧によって情趣美を濃厚にする(濃躰)、意味内容や詞使いに強さや恐ろしさが感じられる(鬼拉躰)である[5]

脚注

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  1. ^ a b 川平均「上野本 毎月抄聞書 : 紹介と翻刻」『跡見学園女子大学紀要』第12巻、跡見学園女子大学、1979年3月、71-112頁。 
  2. ^ a b c d 渡邉裕美子「〈毎月百首を詠む〉ということ」、日本文学協会、2013年7月10日、doi:10.20620/nihonbungaku.62.7_2 
  3. ^ 高梨素子「毎月抄の伝来考」『国文学研究』第61巻、早稲田大学国文学会、1977年3月、46-60頁。 
  4. ^ 藤平春男「毎月抄おぼえがき」『国文学研究』第16巻、早稲田大学国文学会、1957年8月、62-77頁。 
  5. ^ 橋本不美男ほか『新編日本古典文学全集87・歌論集』小学館、2001年12月、494頁。