殷山郡
殷山郡(ウンサンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国平安南道に属する郡。
位置 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 은산군 |
漢字: | 殷山郡 |
日本語読み仮名: | いんざんぐん |
片仮名転写: | ウンサン=グン |
ローマ字転写 (MR): | Ŭnsan kun |
統計(2008年) | |
面積: | 501.4 km2 |
総人口: | 206,407 人 |
人口密度: | 411.66 人/km2 |
行政 | |
国: | 朝鮮民主主義人民共和国 |
上位自治体: | 平安南道 |
地理
編集隣接行政区
編集行政区域
編集1邑・5労働者区・16里を管轄する。
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歴史
編集前近代・近代
編集高麗時代の983年に殷州が置かれ、1238年に殷山郡となった。
朝鮮王朝時代の1414年には慈山郡に編入されるが、翌1415年に殷山県が置かれた。
1895年に殷山郡となり(二十三府制)、1896年に平安南道所属となった(十三道制)。1907年に、順川郡に編入され、殷山郡は消滅した。
第二次世界大戦後
編集第二次世界大戦後、殷山郡は北朝鮮政府によって設置・廃止・再設置される。
1952年12月、順川郡から殷山面・新倉面・密田面の全域と北倉面・仙沼面の各一部を分離し、殷山郡が置かれた(1邑1労働者区20里)。1974年には殷山郡が廃止され、順川郡に編入される。
1992年1月、順川市・北倉郡・成川郡の各一部が分割され、殷山郡が再設置される(1邑4労働者区17里)。1994年には1里を北倉郡に移管、1995年には順川市より一部を編入した。
2003年時点で、1邑5労働者区16里から構成される。
年表
編集この節の出典[1]
- 1992年1月 - 平安南道順川市殷山洞・殷浦洞・天聖洞・九峯洞・榟洞・富興洞・直洞・首陽洞・済賢里・崇化里・延合里・望日里・新倉里・水源里・修徳里・龍化里・柳井里・密田里・東三里および長鮮洞・ポンウ洞の各一部、北倉郡新坪里、成川郡南玉里・柳洞里・大陽里・南源里をもって、殷山郡を設置。(1邑5労働者区17里)
- 殷山洞・殷浦洞・長鮮洞・ポンウ洞が合併し、殷山邑が発足。
- 首陽洞が首陽里に降格。
- 梓洞が梓洞労働者区に降格。
- 九峯洞が九峯労働者区に降格。
- 天聖洞が天聖労働者区に降格。
- 直洞が直洞労働者区に降格。
- 富興洞が富興労働者区に降格。
- 1992年12月 - 直洞労働者区・富興労働者区が順川市に編入。(1邑3労働者区17里)
- 1994年 - 新坪里が北倉郡に編入。(1邑3労働者区16里)
- 1995年 - 順川市聖山洞・鶴山洞を編入。(1邑5労働者区16里)
- 聖山洞が聖山労働者区に降格。
- 鶴山洞が鶴山労働者区に降格。
- 殷山邑の一部が崇化里に編入。
殷山郡(1952年-1974年)
編集- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道順川郡殷山面・新倉面・密田面および北倉面・仙沼面の各一部地域をもって、殷山郡を設置。殷山郡に以下の邑・労働者区・里が成立。(1邑1労働者区19里)
- 殷山邑・西南里・延合里・龍化里・修徳里・望日里・水源里・柳井里・東三里・密田里・榟洞労働者区・九峯里・天聖里・聖山里・甑山里・富山里・鎮山里・済賢里・南玉里・崇化里・首陽里
- 1954年 (1邑1労働者区19里)
- 殷山邑および水源里の一部が合併し、新倉里が発足。
- 鎮山里および西南里の一部が合併し、殷山邑が発足。
- 南玉里の一部が成川郡柳洞里に編入。
- 1963年 - 九峯里が九峯労働者区に昇格。(1邑2労働者区18里)
- 1967年 (1邑3労働者区17里)
- 密田里の一部が梓洞労働者区に編入。
- 水源里の一部が新倉里に編入。
- 九峯労働者区の一部が柳井里に編入。
- 天聖里が天聖労働者区に昇格。
- 1972年 (1邑4労働者区16里)
- 富山里が富山労働者区に昇格。
- 成川郡岐倉里の一部が修徳里に編入。
- 1974年5月 - 殷山郡廃止。