武者 伝二郎(むしゃ でんじろう[1]旧字体武者󠄁 傳二郞[1]1854年1月29日嘉永7年1月1日[2]) - 1901年明治34年)9月3日[3][4])は、明治時代の政治家衆議院議員(当選4回)[1]

経歴

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陸奥仙台藩亘理郡小堤村(現宮城県亘理郡亘理町)で[2]涌谷伊達家家臣・武者伝三郎の長男として生まれる[5]剣道漢学を修める[3]。1877年(明治10年)県会の前身、共議会の議員に選出され[5]1879年(明治12年)宮城県会議員を経て、1882年(明治15年)同常置委員となる[2]。ついで松平正直県令の抜擢で[4]1883年(明治16年)3月、伊具・亘理郡長に就任し、1885年(明治18年)志田玉造郡長に転じた[6]

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では宮城県第2区から出馬し当選[3]。以後1894年(明治27年)第4回総選挙まで連続4期当選を果たした[3]

脚注

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  1. ^ a b c 『議会制度七十年史 第11』むの部494頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月25日閲覧。
  2. ^ a b c 日野 1890, 武1頁.
  3. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1962, 494頁.
  4. ^ a b 『仙台人名大辞書』1008頁。
  5. ^ a b 『宮城県百科事典』1023頁。
  6. ^ 日野 1890, 武1-2頁.

参考文献

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