武田義孝
武田義孝(たけだ よしたか、1911年(明治44年)2月15日 - 1943年(昭和18年)8月[1])は、日本の体操選手。愛媛県人初のオリンピック選手[1]。
個人情報 | |
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国籍 | 日本 |
生誕 | 1911年2月15日 日本 愛媛県越智郡朝倉村 |
死去 | 1943年8月 |
スポーツ | |
競技 | 体操 |
経歴・人物
編集愛媛県越智郡朝倉村(現・今治市朝倉上)に生まれる[1]。松山商業学校を経て、日本体操学校を卒業し、教師として東京都内の中学校で体育を教えた[1]。その後、1932年ロサンゼルスオリンピックと1936年ベルリンオリンピックに出場した[2]。
脚注
編集- ^ a b c d e “データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム”. 愛媛県生涯学習センター. 2019年10月10日閲覧。
- ^ “Yoshitaka Takeda Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月18日閲覧。