武士氏
武士氏とは
編集武士氏は常陸国に勢力を持ち、常陸守護代 小野崎氏の有力家臣としてもその家系が確認され、小野崎通政の代には小野崎四天王に連なるという[1]。家紋は五つ瓜に違い鷹の羽[2]。
また、戦国期には常陸守護 佐竹氏の家臣にその姓が確認され、文禄5年(1596年)8月18日、佐竹義宣の代に人見主膳藤道を奉行として武士孫一郎に対し、大石なる地に知行5石を給されたとする記録が確認される[3]。また、佐竹氏の秋田転封についての記録 『慶長国替記』に50石取りの家臣として武士新六郎、30石取りの家臣として武士囚獄の名が見える[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第1巻』(角川書店、1934年)
- 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第2巻』(角川書店、1934年)
- 日本家紋研究会編『家紋でわかるあなたの祖先 茨城県北部地方』(日本家紋研究会、2001年)
- 常陸太田市史編さん委員会編『佐竹家臣系譜』(常陸太田市、1982年)