正長
日本の元号
改元
編集称光天皇は応永19年8月29日(1412年10月5日)に践祚したが、室町幕府は長い間改元を認めず、即位後16年にしてようやく代始改元の実施が認められた[1]。そのため、実際には室町幕府が新将軍(足利義教)就任に伴う代始改元を要求したとする見方もある(ただし、義教の実際の将軍就任は翌2年に入ってからとなる)[2]。 なお、改元の3か月後に称光天皇は崩御することになる。
また、永享改元当時、義教と対立していた鎌倉公方・足利持氏は永享への改元を認めず、「正長4年」(=永享3年=1431年)までこの元号を用いた(永享の乱のさきがけ)。
出典
編集『礼記』正義の「在位之君子、威儀不差忒、可以正長是四方之国」から。
正長期におきた出来事
編集- 元年7月28日(1428年) - 称光天皇の崩御に伴い、後花園天皇が践祚。
- 元年 - 正長の土一揆
- 2年3月15日(1429年4月18日) - 足利義教の征夷大将軍宣下が行われ、室町幕府の将軍空位が4年ぶりに解消される。
出生
編集死去
編集西暦との対照表
編集※は小の月を示す。
正長元年(戊申) | 一月 | 二月※ | 三月 | 閏三月 | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月※ | 十二月 |
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ユリウス暦 | 1428/1/17 | 2/16 | 3/16 | 4/15 | 5/15 | 6/13 | 7/13 | 8/11 | 9/10 | 10/9 | 11/8 | 12/7 | 1429/1/5 |
正長二年(己酉) | 一月 | 二月※ | 三月 | 四月※ | 五月 | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月※ | 十二月 | |
ユリウス暦 | 1429/2/4 | 3/6 | 4/4 | 5/4 | 6/2 | 7/2 | 8/1 | 8/30 | 9/29 | 10/28 | 11/27 | 12/26 |
脚注
編集- ^ 北爪真佐夫「元号と武家」『札幌学院大学人文学会紀要』第68巻、札幌学院大学人文学会、2000年9月、1-32頁、CRID 1050859370519001728、hdl:10742/00003574、ISSN 0916-3166。
《所収》北爪真佐夫『文士と御家人 : 中世国家と幕府の吏僚』青史出版、2002年。ISBN 978-4-921145-13-2。国立国会図書館書誌ID:000003067831。。 - ^ 藤本孝一『中世史料学叢論』思文閣出版、2009年。ISBN 978-4-7842-1455-6。国立国会図書館書誌ID:000010087817 。
《改題所収》「改元をめぐる公家と武家」: 久水俊和『室町期の朝廷公事と公武関係』岩田書院〈中世史研究叢書 ; 20〉、2011年。ISBN 978-4-87294-705-2。国立国会図書館書誌ID:000011288975 。