正法寺 (豊川市)

愛知県豊川市の仏教寺院

正法寺(しょうぼうじ)は、愛知県豊川市赤坂町西裏[1]にある真宗大谷派寺院である。山号は太子山。院号は上宮院。本尊阿弥陀如来

正法寺

本堂
所在地 愛知県豊川市赤坂町西裏69
位置 北緯34度51分22秒 東経137度18分22秒 / 北緯34.85611度 東経137.30611度 / 34.85611; 137.30611座標: 北緯34度51分22秒 東経137度18分22秒 / 北緯34.85611度 東経137.30611度 / 34.85611; 137.30611
山号 太子山
院号 上宮院
宗旨 天台宗浄土真宗
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 弘仁7年(816年
開基 万巻上人
中興 了信坊源範円
正式名 太子山上宮院正法寺
文化財 絹本著色釈迦如来像(県指定文化財
法人番号 5180305003709 ウィキデータを編集
正法寺 (豊川市)の位置(日本内)
正法寺 (豊川市)
正法寺 (豊川市)の位置(愛知県内)
正法寺 (豊川市)
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歴史

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聖徳太子が三河地域を訪れた際、赤坂上宮という所に太子を祀る堂宇(太子堂)を建てたことが創立のきっかけであるとされる。

嵯峨天皇の時代(809年 – 823年)に、万巻上人箱根神社再建の勅許を得るため上京したが、その帰途に病を得て太子堂にて療養し、弘仁7年(816年10月2日に死去した。上人の弟子らは、太子堂を改築して上人を開基とした[2]

鎌倉時代初期には、源範頼の息子範円(はんえん)が太子堂に居住した。貞永元年(1232年9月1日浄土真宗の開祖親鸞が関東から帰京する際、聖徳太子像を拝むため太子堂を訪れた。このとき範円は親鸞に教化されて弟子となり、名を了信坊に、寺を太子山上宮院正法寺に改め、天台宗から浄土真宗に改宗した[3]

宝徳年間(1449年 - 1451年)に現在地に移転したが、明応年間(1492年 - 1500年)に本堂が焼失した。現在残っている本堂は、万延元年(1860年)に改築されたものである[3]

明治23年(1890年4月3日明治天皇が当寺の宝物(消息、関白草紙、木蘭地袈裟、網代団扇の4点)を天覧した[4]

文化財

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以下の15点が、愛知県または豊川市の文化財として指定されている[5]

指定区分 名称 指定年月日 備考
愛知県 絹本著色釈迦如来 1981年昭和56年)11月20日 筆者不詳。鎌倉時代の作。
豊川市 十三仏唐画 1978年(昭和53年)3月31日
十三仏古画像 1978年(昭和53年)3月31日 呉道子筆。室町時代の作。
関白草紙 1978年(昭和53年)3月31日 筆者不詳。関白豊臣秀次の一代記を描いた草紙。
業平涅槃之図 1978年(昭和53年)3月31日 英一蝶筆。人間から天女動物鬼女に至るまで、世のあらゆる女性が在原業平の死去を悼む様子を描く。
不動尊画像 1978年(昭和53年)3月31日 筆者不詳。鎌倉時代の作。
観音立像 1978年(昭和53年)3月31日
聖徳太子立像 1978年(昭和53年)3月31日
網代団扇 1978年(昭和53年)3月31日 徳川家康寄進した団扇
木蘭地袈裟 1978年(昭和53年)3月31日
六字名号 1978年(昭和53年)3月31日
六字名号 1978年(昭和53年)3月31日
九字名号 1978年(昭和53年)3月31日
正法寺のワビスケ 1980年(昭和55年)6月1日
正法寺のイヌマキ 1980年(昭和55年)6月1日

交通

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周辺

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  1. ^ 三河国宝飯郡赤坂宿赤坂陣屋赤坂村音羽町赤坂
  2. ^ 『音羽町誌』、569-570頁。
  3. ^ a b 『音羽町誌』、570頁。
  4. ^ 『音羽町誌』、571頁。
  5. ^ 「豊川市内の指定・登録文化財一覧」(豊川市HP内)。

外部リンク

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