正井義人
大日本帝国陸軍軍人
正井 義人(まさい よしひと、1892年(明治25年)5月1日[1] - 1971年(昭和46年)5月5日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
正井 義人 | |
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生誕 |
1892年5月1日 日本 島根県 |
死没 | 1971年5月5日(79歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1892年(明治25年)に島根県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第34期卒業[1]。1937年(昭和12年)に関東軍砲兵司令部高級部員となり[2]、1938年(昭和13年)に陸軍砲兵大佐に進級した[2]。1939年(昭和14年)に野戦重砲兵第2連隊長[2]、1940年(昭和15年)に第24砲兵団長を経て[2]、1941年(昭和16年)に陸軍少将に進級した[2]。
1942年(昭和17年)に西部軍砲兵隊長を経て[1]、1944年(昭和19年)8月に下関要塞司令官に転じ[1]、10月に陸軍中将に進級[2]。1945年(昭和20年)1月に第121師団長に親補され[1]、済州島の守備に当たり、終戦を迎えた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。