歌川貞広
江戸時代後期の大坂の浮世絵師
来歴
編集初代歌川国貞の門人。歌川の画姓のほか南々川、三谷と称し、五蝶亭、五輝亭、五楽亭、五粽亭と号す。大坂の人で畳屋町三津寺筋に住む。文政11年(1828年)建立の豊国先生瘞筆之碑に「国貞社中」として「貞広」の名があるが、作は文政13年(1830年)から嘉永5年(1852年)にかけてのものが確認されている。役者絵や風俗画、読本、絵入根本の挿絵を手掛けた。
作品
編集版本挿絵
編集- 『街能噂』(ちまたのうわさ)四巻4冊 ※滑稽本、平亭銀鶏作。天保6年(1835年)刊行
- 『浪花夢』三巻5冊 ※人情本、平亭銀鶏作。天保6年刊行。歌川貞芳も挿絵を描く。
- 『傾城佐野の船橋』7冊 ※絵入根本、天保9年(1838年)刊行
- 『傾城遊山桜』 ※根本、天保10年(1839年)刊行
- 『契情会稽山』(けいせいゆきみるやま)7冊 ※天保13年(1842年)刊行
- 『大阪名所廻』2冊 ※地誌、弘化2年(1845年)刊行
- 『十二図狂歌十二図』1帖 ※艶本、嘉永初年刊行
錦絵
編集- 「だて与作・尾上多見蔵 たんば与作・大谷友治 ひぬかの八蔵・大谷万作 戻り馬の八蔵・尾上芙雀」 大判 池田文庫所蔵 ※文政13年4月、大坂筑後芝居『染分総』より
- 「しおり・岩井紫若 げら松さじま・嵐璃寛」 大判3枚続の内 池田文庫所蔵 ※天保6年正月、大坂中の芝居『けいせい英草紙』より。丸丈斎国広との合作
- 「猪ノ早太・嵐吉三郎 倉岡けんもつ・中山文五良」 大判 池田文庫所蔵 ※天保7年8月、中の芝居『頼政鵺物語』より
- 「笹原隼人・嵐璃寛」 大判 池田文庫所蔵 ※天保8年正月、大坂角の芝居『けいせい小倉■』より[1]
- 「島之内ねり物 若菜摘 中森軒二代目とら」 大判 ボストン美術館所蔵 ※天保7年頃
- 「島之内ねり物 はした女 森田屋まつ梅」 大判 ボストン美術館所蔵 ※天保7年頃
- 「浪花風景の内 梅屋敷・大川天神橋天満橋・安治川口」 横大判3枚 ※天保末
脚注
編集- ^ ■の字は、「色」の偏に「帋」の字の旁り。